2005欧州弓道旅日記
 
 
 
 

 
 
2004年度「海外研修」引率 
 
 
 
2005年
2月4日(金曜・晴れ)
8:20集合。いきなり3名遅れる(けしからん!)。弓をまとめ、矢筒をまとめ、バスに乗り込む。いちいち指示しないと動けない学生達。手際も極めて悪い。弓道部をやめたとはいえ、短期間なりとも弓道部に所属していたであろうに。基本的な躾がなされていない。身に付いていない。少々(いや、かなり?)イライラ。
8:35大学発(SRI運転手)
注意事項と本日の予定を確認。打ち合わせをおこなった。成田でユーロに両替の予定(●*6+●。約●●万円をユーロにしよう)。KDIは海外用携帯電話の予約をしたらしい。準備がよい。
10:30予定通りに成田へ着いた。荷物X線チェックで私のラッゲッジがひっかかる。カシューと薄め液が問題に。家に送るか破棄にするか、選択をせまられる。固まりそうになったが、結局破棄に。不本意ながら同意書にサインをする。残念!。
アエロフロートのカウンターで手続き。出発は予定より1時間15分遅れるらしい。中に入ってから買い物をすることにした。また私が引っかかる。靴を脱がされ、コートも脱がされ、再チェック。KMTも引っかかってるらしい。ベルトをはずされている。中に入り、免税店へ。タバコ2カートンを買った。3600円。ロベルト氏の土産を没収されたので、日本酒を買うことにした。昼にかきあげ天ぷらそばを食った。あまりうまいとはいえぬ。NTKにTEL。チョコレートを購入、非常食にしよう。
13:50、D99に集合。今度はみんな早く集合。やることがなくなったようだ。
13:50頃、アエロフロートへ乗り込む。19F。
14:47、ようやくテイクオフ。スチュワーデスの日本語アナウンスはかなりやばい(もっとゆっくりしゃべった方がいいと思う)。もうすぐ昼食?(と言っていた。)が出て、着陸(モスクワ)前に簡単な食事が出るという。モスクワには17:25着予定であったが、1時間45分も遅れてスタートしたので、時間も遅くなるかな? まあ、待ち時間が4時間の予定であったので、充分時間があるし、成田で待った分待たなくてすむので問題はないだろう。KMTはベラベラブックを買って勉強している。えらいもんだ、というか、ようやく火がついたのか。初めての海外旅行、しかも初めての飛行機とのこと。ONDは一人離れた所になってしまった。替わってやろうかとも思ったが、帰りも1人になることだし、よい練習になるだろう。冷たいかも知れないがほっておこう(いや、その方がむしろ、愛情だ。笑。)。
現地時間(ウィーン)に時間を合わせた。
8:00、飲み物をいただく。赤ワインにした。ピーナツもついてきた。くせのないさらりとしたワインだった。KDRは白ワインをたのんだ。KMTは7UP。ロシアにもあるんだなあ。
8:40食事。ビーフと魚、チキン?もあるらしい。ビーフにしたら、ちょっと堅くてパサパサした感じ。あまりおいしいとは言えないな。サラダと寿司がついている。デザートには??トルテ。甘くてななり酸っぱい。味が濃いなあ。コーヒーをいただく。ミルクをたのむのを忘れた。喉がかわく感じがする。マスクがあったらよいかもしれない。あめは持ってきたが、天井の鞄の中だ。もう1杯ワインをいただきたいところだが・・。
現地時間まだ朝の9時か。長い一日だなあ。映画はキャットウーマンをやっていた。ロシア語と英語のみなので、あまりよくわからない。一寝入りした。まだ、10:00。今度の映画はシャークテール。
11:15、機内後ろまで散歩。スチュワートさんにコーラを1杯もらう。スチュワートさんにモスクワの時間を確認した。モスクワも時差8時間かと思っていたが、時差6時間とのことだ。そうするとモスクワは今13:15・まだまだだと思ってが、あと4時間? まて、出発が遅れたから5?5時間30分?、やっぱりまだまだか!。スチュワートさんに確認してよかった。モスクワ〜ウィーンの飛行時間が短いと思っていたが、時差をあやまっていたせいだ。現在日本時間19:20、モスクワ13:20、ウィーン11:20。
モスクワ時間15:40、もうすぐ軽食と飲み物サービスがあるらしい。モスクワ到着予定時間はモスクワ時間18:10頃とのことだ。KNGは漫画本を持ってきている。みんなで回し読みをしていたが、4冊も持ってきているらしい。信じられん! 時計とか、他に持ってくるものがあるだろう。それにしても時計を持ってこない学生がいたことには少なからぬ驚きを感じた。男子学生3人は誰も持ってこなかった。まあ、少し脅したので、3人とも成田で調達したようだ。集合時間に無頓着である理由も普段の生活の中にあるのかもしれない。やはり躾が必要だ。
17:00(モスクワ時間)、また散歩。若い男性に「いいですねえ」と雪駄を誉められた。「スリッパの方はよく見かけますが、雪駄もいいですねえ」。スーツ姿の男性で、仕事で出張かなと思い、聞いてみると添乗員をしているとのこと。25名のお客さんとトルコへ向かうようだ。同じくモスクワで乗り換え、我々よりも更に遅い、22時台の便らしい。
モスクワに到着し、トランジット手続きのゲートに並ぶも、かなり込み合っている。何十分待っただろう。4番ゲートに並ぶも、結局1番ゲートだ。ロシ●人は愛想もないし、また、仕事も遅いぞ。時間は十分あるので問題はないのだが・・・。
手続きを終え、DUTY FREE SHOPを巡る。
21:00ゲート前に集合。16番ゲートの記載があるが、掲示になかなか便が出てこない。ONDが19番ゲートの掲示板にコールがあると気付く。あわてて19番に行き、X線チェックを受けようとするが、「16番ゲート」と言われ、再び16番に戻る。16番ゲートでは今度は「19番に変更した」と言われ、またまた19番へ。19番に行って、また16番と言われそうな雰囲気だったので、19番に変更になっているじゃないかと言ったら、チェックしてくれた。19番のお姉さんも分かっていないらしい。結構いい加減な国だぞ、ロシ●。KMTはまたベルトをはずされているようだ。学生は話の種ができたと喜んでいる。係員にやる気も見られない。サービス業務の自覚はないらしい。印象悪ぅーロシ●。国の体質を感じざるを得ない。また、遅れて出発のようだ。到着時間はだいじょうぶだろうか。いやいや、いいかげんな国だ(憤慨!)。21:55離陸。
これからはオーストリア時間で記述する。今は、20:55分。
そのうち、うとうと一寝入りした。時間は忘れたが、眠い最中に到着した。飛行機を降りたところで、すぐに係りが入国審査をしていて、KMTが早速、言葉の壁にぶち当たり、審査官と・・・。スーツケース類はすぐに出てきた。弓がない。弓を探して来るように、学生に言うも、なかなか動かない。なぜこの子達は言わないと動かないのか?、言ってもなかなか反応がないのか? 弓道部員なら考えられないことだ(今回の弓道班は全員弓道部員以外の学生)。ほんの些細な事かもしれぬが、出発時の集合といい、このことといい、私にとって非常に苦痛であった。研修の先が非常に思いやられ、申し訳ないけれど、正直、連れてきたことを後悔した。弓を引く以外の大事なことを海外の弓道家から教えられるはめになるのか? 弓道を教えに行くつもりなら、それは大きな間違えだ。学ぶのは君たちだ。かつての私がそうであったように。
ロベルト氏、マーチン氏、ミヒャエル氏、チョザル氏、?が迎えに来てくれた。学生は1名、4名に分かれ、ホームステイ先へ。KMTはチョザルさん宅へ。KNG、KNG、OND、KDIはミヒャエルパパの所へ。昨年AKT達が泊めてもらったパパんちはそんなに大きいんだ。
「じゃあ明日9:30にね!」
私はロベルト氏にホテルまで送ってもらう。
ホテルへチェックインし、222へ。なんだっけ、このホテル、昨年も泊まった。明日、ロベルト氏がブダペスト行きのバスチケット(39ユーロ)くらいを買ってくれるという。パスポートのコピーを渡す。明日は9:15に迎えに来てくれる。あまり、眠くならないが、寝るか。・・眠れぬ。・・眠れぬ。・・
(学生KMTの日記より:・・・ホームステイです。2人とも日本語がペラペラ、日本の文化について私より詳しく知っているくらいでした。私ももっと日本を知らなければいけないと思い今日は寝ます。)
 
 
2月5日(土・粉雪が舞う)
8:00、食事。うまい。
9:30、ロベルト氏が来る。
10:15、昨年の体育館でセミナー開始。集合挨拶。昨年来た学生の近況報告をし、今年度の学生は自己紹介。まずはセレモニーシューティング。日置体配で1手。2本詰めたが、びくりそうになったし、伸び合いも縮まったか?
さて、12射射込みを繰り返す。最初の印象は、昨年とあまりかわるところはない。午前中1手講評。マーチンさん、ロベルトさん、チェザルさん、ミヒャエル(パパ)さん、に土産。昼食後、巻きわらの人、講評。
12射射込みを繰り返す。長めの休憩ののち、明治から昭和の弓道史について講義。自由射込みを行い、1日目終了。
結構長いぞ、1日。皆さん、手の内も大丈夫? 矢数がかかりすぎて痛みそうだ。ロベルトさんに、フランツさんへのお土産を渡していただくよう、依頼した。
ピザのでっかいイタリアンレストラン(昨年も行った)、Ninoで食事。私はマッシュルームのグラタンを食べた。赤ワイン1杯。・・・白ワインをおかわり。学生達はピザやシュニッツエルを注文。学生、食事に満足そう。KNGは、「喰うぞー」と気合いが入っている。かなりテンションが高い。 ・・ だが、食後はみんなぐったりしている。眠いらしい。私は意外に元気。みんなと別れ、9:00、NIT先生を迎えにロベルト氏と一緒に空港へ。空港で飲み物を調達した。NIT先生を迎え、ホテルに戻り、シャワーと洗濯。
 
2月6日(日)
8:00、NIT先生と朝食。たくさん食べた。
9:30、ロベルト氏が迎えに来る。体育館へ。ブランコ氏が来た。ブランコ氏にマグカップ・武大Tシャツをプレゼント。
10:10、セミナー開始。午前中、射込みを繰り返しながら、適宜チェック。学生達は巻藁の人を熱心に指導している。入れ墨君は一度手の内を直したら、忠実にやろうと努力している。手の内はよくなった。アーチャーは頬付けを忘れている。赤シャツ君は弓返りをあきらめて、手の内を閉める努力をするようになった。
昼食。食欲無し。
ロベルト氏からオーストリア・アーチェリー連盟のバッジをいただく。
(学生ONDの日記より:今日もみなさんは、一生懸命練習をしていました。本当に上手でした。うまくなろうとしているのが目に見えて弓道が、好きなんだと感じました。)
13:30、午後の部開始。射込みの後、質疑応答。7問。微妙な問題もある。射込み。
学生礼射。私はビデオと写真を撮る。稽古が足りていない割には、まあまあよい礼射だったかな。KMT氏、よくあんた、そのゆがけで、2本詰めたねえ。
座って揖をしたんだから、立ってからはいらないよ。退場、最後は1歩下がらなくてはね。
(学生KKCの日記より:・・とても楽しそうに引いているのが印象的で多大な影響を受けることができたと思う。練習の最後に演武が行われ、インターハイや国体の時よりも緊張した。)
集合写真をとって閉会式。
的絵のカフスボタン?をいただく。ミヒャエル.m氏が作ったらしい。その方面の仕事をしているそうだ。
ガストハウスにゆき、夕食。昨年も来たなあ。グリル何とかを注文したが、食べきれなかった。まだ食がすすまないか。ビールを一杯。明日の打ち合わせをする。ベースプランに学生の希望を加え、ガイドラインが決定。ショーンブルン宮殿は学生にあきらめさせたが、学生には満足の1日になりそうだ。
ロベルト氏とNIT先生とホテルへ戻る。
学生達はチョザル氏とともに町にくり出すようだ。昨日と違って、学生達は元気いっぱい。目が輝いている。パパの許可は出たが、適当にするように!
ステファン寺院やカフェに云ったようだ。ステファン寺院ではミサも行われていたようで、厳粛な雰囲気に感動を覚えたようだ。
(学生ONDの日記より:食事後は街を散歩しました。そこでは明日行く教会を見ました。ちょうどお祈りをしているときでめったに見られないみたいで貴重な経験をしました。すごく、神秘的でした。夜も街も綺麗でした。街を一周したあと家に帰り、爆睡しました。)
ロベルト氏にバス代を支払い、NIT先生の宿泊費を立て替えた。
 
2月7日(月)
5時前に目が覚めて、パソコンに向かう。今日も腰が痛くなりそうだ。ロベルト氏に迎えに来てもらい、武器博物館へ。トルコの弓が展示してある。ビデオ撮影許可をもらい、弓と矢を撮影した。その他いろいろな武器や資料が展示してあった。
(学生KMTの日記より:博物館では第一次世界大戦のきっかけとなった事件でつかわれていた車を見ました。ここからあのとてつもなく、悲惨な戦争が始まったと思うととてもおそろしいことで車に残った弾痕を見てしばらくの間だ、そこから動くことができなくなりました。)
(学生KKCの日記より:・・・いろいろな武器が置いてあり、中でも巨大な大砲があり大変おどろいた。また、第二次世界大戦のきっかけとなった銃痕がある車があり、それには不思議な感じがした。)
一通り見たあと、博物館の喫茶でメランジェを飲む。
博物館は学生にとって退屈かと思われたが、私以上に色々感じてくれたようだ。
バス・トラムで移動し、ベルベデーレ宮殿へ。庭を散策し、歩いて町中へ、戦後の記念碑・広場前を通り、カフェでマリアテレジア(リキュール入りコーヒー)とザッハトルテを注文。暖まった。
マーケットへ移動し、散策。学生達はシシカバブー、ケバックを食べている。また、町中へ買い物に向かう。学生はオペラトイレに入り、喜んでいた。ONDの買いたいプチポアンの店はしまっていたため、ONDとヨーグ氏が他の店へ向かう。マクドナルドでトイレにより、店でブランコ氏と合流。夕食はバイキング形式の店で。好きな物が取れるのでいいなあ。味は今ひとつかも知れないが、見て選べるのは助かる。
食後、オペラハウスへ向かい、コートをあずけ、各席へ。昨年と同様、みんなバラバラに。昨年は立ち見。今年はボックス席でバージョンアップ? しかし、見るには立たないとほとんど見られない。休憩で3階に集まる。タイトル:Der Barbier von Seulla? 学生達はどうなんだろう?オペラ。柄じゃないのは私も同様、お互い様(失礼)。でも、どう感じているのだろう? このチケットはブランコ氏が努力して我々のために取ってくれたんだぞ。宿泊といい、食事といい、観光といい、私の力では、大したことも出来ないが、多くの弓道仲間が助けてくれている。我々に奉仕しても大した徳にもならないはずの人たちが、我々のために様々動いてくれている。
(学生KMTの日記より:オペラが始まると一気にその世界に吸いこまれていきました。とてもおもしろいものでした。)
オペラが終わり、帰途につく。4人の学生をミヒャエルさん宅へ送る。チョザル、ブランコ、KMT、NIT先生、私は地下鉄へ向かう。「自分で帰る」と何度も言ったのに、ブランコ氏、心配して最後まで(ホテルまで)ついてきてくれた。家は近くだと言っていたが、そんな筈はないだろう。どうもありがとう。
 
2月8日(火)
6:40ロベルト氏来る(また遅れてきた)。ブダペスト行きのバス停留所を7:15発。
ミヒャエル氏、チョザル氏と別れの挨拶。ミヒャエル氏、4人もの学生達をありがとう。チョザル氏、学生1名の宿泊を面倒みてくれて、ありがとう。通訳もありがとう。かなり疲れたはず。私はチョザル氏のおかげでたいへん助かった。学生もたいへん助かったはず。感謝!感謝!
バスは、だだっ広いところを走り、ハンガリーへ。
オーストリアの出国手続きとハンガリー入国手続き(スタンプ)をバス内でしてもらう。そのうち寝入ってしまった。もっと寝たかった! こちらに来てから各日、3時間から4時間の睡眠しかとっていないと思う。早くは眠れないし、早く目が覚める。時間に遅れるとまずいと思い、一旦起きると怖くて眠れない。いつになくナーバスな旅行だ。よく体がもつなあ。腰痛は継続中。腰が休まらないから。
ラスロ(Laszlo)さんが到着停留所で待ってくれている。バンを借りてくれたようだ。ロベルト氏を待ち、ホテルへ向かう。
HOTEL LESLIE APARTMENTS IN BUDAPEST。男子708、女子515、私304、NIT先生703。ラスロさんに連れられ、私は銀行へ両替に。学生達はホテル周辺散策。
地下鉄に乗り、1駅で降りる。レートあまりよくないなあ。30分で戻り、バンで市内観光へ。マルギット島は昔はラビット島と呼ばれたそうな。ブダ側から国会議事堂を見る。ブダペストの町は環状になっている?いろいろなところをバンで巡ってくれた。鎖橋、国立博物館、自由橋、エルジェべート橋などを通過。ブダペストにとっては、橋は大きな重みがあるのだろう。橋についての説明にも力が入っていた。王宮のふもとのでロベルト氏と待ち合わせ、ラスロ氏と別れる。ケーブルカーに乗り、王宮へ。周辺を歩いて、カフェで遅い食事。みんな腹が減っているようだ。シュニッツエルを食べた。もう夕食ははいりそうにない。カメラ紛失発覚。再び、ラスロ氏と合流し、バンでゲッレールトの丘に登った。聖ゲッレールトの丘の女神の像のもとで夜景を見る。女神は昔はプロペラを持っていたが、パームツリーの葉にかわった。これは戦後の自由の象徴らしい。
(学生KMTの日記より:この日一番の感動はなんと言っても勝利自由の像が立つ丘の上からの夜の夜景でした。・・・ほぼ単色のとてもやさしいオレンジの明かり、灯りはあわただしい1日に、寒さもどこかへ行ってしまう光景でした。)
そろそろ、学生達を手放してもいい頃だ。ホテルへ戻り、学生に朝食の時間を確認してもらうと、どうやら、素泊まりのホテルらしい。少し休んで、学生たちと地下鉄駅(M3、Lehel te'r駅)の方へ向かう。行き先は学生に任せた。地下鉄には乗らずに周辺で探すという。しかし駅の売店は閉まっている。町中方面へ向かう。期待薄かと思っていたが、ほんの少し行ったところに、大きなデパートのような施設がある。そこに入ると、かなり大きな施設で、ここで何でも揃いそうだ。よいところを見つけたね君たち。スーパーで飲み物などを買った。正直、もう歩きたくないので、イスに座り、噴水を眺めていた。放たれた学生達は買い物を楽しんでいるかな。なかなかおしゃれな噴水。結構感動する。
学生はかなり買い込んでいる。自分たちで問題なく買い物も出来るようだ。そろそろ手放して大丈夫だろうと思ったが、これで確信。学生は適応力があるなあ。感心感心! BURGER KINGというハンバーガーショップで何とかハンバーガーと飲み物を買う(NIT先生用)。ホテルに戻る。NIT先生にハンバーガーを届けるように指示。・・返事がないという。じゃあ、明日の朝一で届けるように指示。
 
2月9日(水)
早く目が覚める。
8:30迎えが来た。バンで自由の広場へ天使?女神?が王冠と??をもつ。ラスロ氏が一生懸命説明してくれる。ロベルト氏と合流し、スケートリンクの横を通り、城のようなミュージアムをを散策。向かいは??温泉施設。バンで移動。国会議事堂の前で写真などを撮り、ミュージアムが開くのを待つ。10:00、文化?ミュージアムの中を見学。学生証で学割250ft、我々は引率で無料に。学生達は結構興味をもって見ていた。見学後、ラスロさんが迎えに。バイキングの店に連れて行ってもらい、堪能した。メキシコという通りにある店であったが名前を覚えていない。今日のこのランチは、ラスロさんからご招待をうけた。ラスロさんから、ゲストカードにコメントをサインを求められた。店にお願いし、学生達の折った鶴と一緒に飾ってくれるようだ。今度来たときに確認したい。来年は???
ホテルに戻り、一休み。学生は町へ放つ。学生達はそのまま昨日の夜のスポットへ向かい、買い物をしたようだ。3:15ラスロさんが迎えに来る。スポーツホールへ向かい、着替えて準備。結構観客が入っているので学生達はびっくりしたようだ。説明したつもりであったが・・・。
Demonstration in the Tungsram sports hall, Budapest, February 2005
ブダペスト弓連の方がいらっしゃって、日本手ぬぐいをお土産をいただいた。こんな所で、ハンガリー人に日本手ぬぐいを頂くのも・・・。剣道も行われている年輩の方だ。
最初の整列挨拶。ロベルト氏が紹介をしてくれた。早速学生は準備をし、5人で礼射。ビデオとカメラ2台をこなすのは大変だ。次に私は数矢と腰矢の演武。的弓を使用し、引きこなせずに矢所が散らばる。気合いは入っていたと思うが。事前にしっかり準備をしないといけないなあ。
体験弓道を学生達が実施してくれた。すべて学生任せ。ハンガリーの弓で流鏑馬を行っている方も来られていた。ミュージシャンでアーチェリー?弓を引いている方も来て、いろいろ弓に興味をもつ方が話しかけてこられたが、もう少し時間があればゆっくりお話出来たのに、時間がなく残念。
(学生KKCの日記より:セミナーでは言葉の壁に悩む。セミナーではある1人のマダムに出会う。マダムはすさまじいオーラを放っていて今回の研修で一番ビビッタ。自分の未熟さを痛感した。その後伝統弓術会と交流をする為練習場へ向かった。そこでハンガリーの弓を射った。想像を絶する程エキサイティング!! 指から血が出てるのにも気づかずに引き続けた。練習の終わりにタブを返しに行くとプレゼントしてくれた。ハンガリーの人はあたたかい。)
デモンストレーション終了後は、ハンガリー伝統弓道会の稽古場所に行き、試射させていただく。和弓も試射していただく。ロベルト氏、熱心に指導している。本当はハンガリーの弓を引きたいようだが、めまぐるしい忙しさで、頑張っている。KKCとKNGは何十本も練習している。100本以上引いたかも知れない。KKCはラスロさんの目にも留まったらしく、結構シビアにアドバイスしている。コーラをもらい一服。よい交流ができたと思う。KKCは結局人差し指を出血するまで引いた。ラスロさんからタブをプレゼントしてもらったようだ。喜んでいた。KNGも随分熱心に引いていた。KNGも100本以上引いたであろう。ラスロさんも口にも表情にも出さなかったが、彼のKKC、KNGへの厳しい指導を見ると、君たちの熱心さをしっかり受け止めてくれていると思う。単なる体験試射ではなく、私にとってもラスロさんにとっても期待以上の交流になったであろう。ごめん、私はデモンストレーションが終わって抜け殻になった。試射20本くらいでダウン。休憩させてもらった。君たちの熱心さに助けられて、ハンガリー伝統弓術会との交流も満足ゆくものとなった。
ホテルへ戻り、9:00に食事に出掛ける。昨日の夜のスポットへ行き、おしゃれな店で豪遊? 結構食べ物の量が多かった。揚げ物などが多いが、味もまあ満足。学生達はおしゃれなカクテルなどを飲んだ。私はギネスとバドワイザー。今日はブダペスト最後の夜、デモンストレーション・体験弓道と交流も終わり、打ち上げだ! また、ONDのさよならパーティーだ! フリント、余っているぞ! そういえば、本日(日本は10日になっているが)サッカー・北朝鮮戦だったはず。どうなったかな? 
11:00ホテルへ戻る。時間が遅くなったので、明日の朝食が買えなかった。KDIがパンとバターを分けてくれた。KMTが深刻な?相談事?・・?・・?
ホテル代は今夜の内に払った。ユーロとフリントで分けて払った。 
明日6:10、OND出発。残りのメンバーは10:45、ラスロさんが迎えに来てくれる。日記を付けていると、日付がかわり、もう2時過ぎになったので、もう寝よう。未だにこちらの時間に慣れていない・・。適応力がないなあ(自分)。今日?(昨日)は、つかれた・・。
 
2月10日(木)
5:45起床。4時間も寝ていないのに、今日は随分ゆっくり寝た気がする。どうなっちゃったんだろう私の体。ロビーに降りて、カプチーノ100ftを自動販売機で買って飲む。紳士を目指すKKC氏もすでに起きてロビーにいた。6:10、ラスロ氏がONDを迎えに来てくれる。奥さん?も一緒のようだ。ONDと私にロベルト氏の電話番号を渡してくれて、「ウィーンでなにかあったら・・」と気遣ってくれる。そうだ!、私はロベルト氏の電話番号知っていたのに、ONDに電話番号を渡すのを忘れていた。気が利かないなあ(自分)。ちょっと凹む。
ちょっと時間が早いかと思ったが、NIT先生にカプチーノと朝食のパンを持っていった。もう、起きられていたようだ。よかった、カプチーノ2杯目にならずに。
さて、ONDも見送ったことだし、今日は、10:45迄あとは何もない。バスに乗ってりゃいいし、ウィーンに戻っても特にやることはない。初めてゆっくり出来そうだ。学生はブダペスト最後の買い物かな? 私、フリント残っちゃったが、いいや。ゆっくり日記でも整理しよう(学生は書いてくれているのかな?)。さて、9:00、荷物整理でもするか。
10:45、ラスロ氏が迎えに来てくれる。ラスロ氏は昨日のKNGとKKCの熱心な練習(ハンガリアンボー)に感心したようで、2人にサイン入りの矢をプレゼントしてくれた。2人も大変喜んだ。11:30頃?、バスターミナルに着き、記念撮影。サンドイッチ、飲み物などを買い込み、バスに乗る。来るときとは違うルートも通るようだ。時間も来るときよりかかる。学生たち、NIT先生は眠っている。私はほとんど眠れなかった。
ウィーン空港に着くと、びっくり、ミヒャエルパパとロベルト氏が迎えてくれた。チェックインを済ませ、弓と矢も別のカウンターに預け、コーヒーを飲みに行くことに。カメラは出てこない。ロベルト氏と今後の事も相談し、さあ、別れの時。たいへんお世話になった。
B42ゲートに17:10までに集合のこと。ホフさんへのお土産アイスワインを買った。出発が遅れるようだ。30分遅れて出発。50人乗りくらいの小型の飛行機だ。180cmくらいの人は頭が天井に支えそうだ。こんな小型は私も初めて乗った。水、コーヒー、紅茶はサービス。その他の飲み物、サンドイッチなどは有料。ちょっと腹が減ったが、水で我慢(笑)。隣のKDIは寝ている。私はまた眠れない。
ハンブルグに到着し、荷物はすぐに出てきた。ロビーに出ると、多くの弓道家ホストファミリーが出迎えてくれた。ホストファミリーを紹介してもらい、それぞれの家庭へ。夕食を済ませていないが、それぞれで済ませることにして、別れる。今回は1人づつホームステイだ。
ホフさん、コニーさんと帰路の途中にあるイタリアンレストランに行き、ガーリックのパスタを食べる。たいへんおいしい。ホフさんはあまりお勧めではない、レッドビール?を飲んだ。黒ビールっぽいややこくがあり、あまみもある。
お土産を渡し、ホフさん宅でくつろぐ。11時就寝。
 
2月11日(金)晴れ曇り
7:15、ホフさんに起こされる。初めてぐっすり眠った。すぐに食事。
9:00頃、??さんが迎えに来てくれる。ペンをお土産にあげた。10:00にみんな集合し、スベン氏とカリンライヒさんと一緒にバスで町中へ向かう。まず、ラットハウス(ハンブルク市庁舎)に向かい、見学。地下鉄で移動し、船乗り場へ、船にのり、フィッシュマルクトへ。少し歩き、地下鉄で町中へ帰る。レストラン四季に行き、日本食を食べる。NIT先生とウーリッヒさんはすでに来ている。円卓の特別席だったのでわからなかったが、思い出した、何度も来ているところだ。天ぷらそばを食べた。海外で、わざわざ日本のレストランに入ろうとは思わないが、はやり、日本食を食べるとほっとする。ゾーリン氏が合流。私の分はスベン氏に招待された。ご馳走さま。スベン氏は仕事でこれで別れる。ゾーリン氏が午後一緒に。ゾーリン氏はスーツにコートで、いつもダンディーだ。もう少しゆっくりしゃべってくれるとよいのだが、早すぎてよく理解できない。学生の希望で、本屋に行く。コミックを買うらしい。私もつき合って、「遊戯王6」5ユーロを買った。スポーツショップに行き、私の鞄を買った。バスにのり、スーパーマーケットへ。生活感を感じられるし、品物は安いし、些細なものも珍しく、結構楽しい。私もたわいもないお菓子や雑貨を買った。ゾーリン氏、その格好でスーパーマーケットは似合わないぞ。バスで道場に戻る。予定を30分近く過ぎた。各家庭へ戻り、夕食後、道場で会おう。
20:00、稽古開始。かなりの人数がいる。途中お茶の休憩。22:00終了。みんな着替えるのが早い。23:00、NTKに電話。北朝鮮戦、日本は2−1で勝った。ONDは無事日本に着いた。
(学生KKCの日記より:どうやらウィーンの紅葉会の練習とは違う感じがした。紅葉会の練習は楽しんでいる感じがした。本当に引くのが好きで好きでたまらない感じがした。ドイツの人々は弓道の空気を重んじている感じがした。しかもキレイなお姉さんとかなりカワイイ人がいた。キレイなお姉さんの名はフリンカさんで、着替えも男子と一緒に着替えだし、平気で服を脱ぎ出すので文化の違いにおどろいた。)
 
2月12日(土曜日、雨)
9:00、朝食。
10:00過ぎ、ホフさんとポストを買いに出掛ける。白スチール。154ユーロ。ホフさんが完璧にパッキングしてくれた。ちょっと休憩。寝てしまった。12:45起きる。
ホフさんがおいしいお昼をつくってくれた。家事の分担は、ホフさんが料理を担当。昼食を済ませ、14:15出発。
15:00稽古開始。稽古しながらコレクション。ホフさんとコニーさんに私も見てもらう。ホフさんから、肘を後ろにするように離したほうがよいのではないかとのこと。1本うまくいったがなかなかできない。だいたいの人は見て回れたと思う。
17:30稽古終了。
KMTが戻ってきた。KMTは今日は、昼頃からハンブルガーのサッカー試合を見に行った。ウーリッヒさんの息子は応援団を仕切っているようだ。ウーリッヒさんからマフラーをもらい、応援をした。高原も先発。「勝ちました。知らない人と抱き合いました!」と興奮気味、すごかったと感動している。思い出に残る体験をしたねえ。
稽古後は1年生(初心者で1年間継続した人)の歓迎パーティーが行われる。これで初めて本当の仲間と認められるのであろう。彼らはお茶くみとか、掃除とか、雑用を担当していて、日本の部活動のように先輩・後輩があるようだ。クラウスギーベル氏がわざわざ遠くからやってきた。同氏と今後の日本訪問について意見交換。9月はじめ頃に訪問したいとのこと。8月に写真の仕事で岐阜にゆき、ローイング(カヌーか何か?)の大会を取材するようだ。そのあとの勝浦訪問を考えている。1人か、奥さんも一緒。パーティーでは、まづ、ブンデストレーナーに感謝のプレゼントが渡された。ホフさん、コニーさんは掃除用具などもらっている。ロルフさんは、ケーキをもらっていた。射場に移り、上座にパソコンから映像が投影される。クイズが映し出され、1年生が回答している。ドイツの弓道の歴史(1969年の映像)を映し出し、みんなで鑑賞した。ING先生、ANZ先生。KTJ先生、ONM先生、SNKさんの映っている映像である。以前ホフさん宅で拝見したこともある。射術だけでなく、歴史や日本の文化も含めて弓道教育を行っていることに感心する。稽古の中でホフさんはしっかり講義をおこなているようだ。射術論や弓具に関してもしっかり行っているとチノさんがおっしゃっていた。メディテーションの映像も見た。学生には違和感があったようだ。さて、一年生には、ゲームを行わせている。巻き藁準備競争、雑巾がけ競争、モップがけ競争。こんな、先輩後輩をドイツの弓道につくっていいのかな?大丈夫?日本の一般弓道でもないぞ。
談話室に戻り、食事。これも1年生が準備したのかな? ワインを飲みながら談話。
パーティー終了後、NIT先生、ホフさん、コニーさん、ウーリッヒさん?、私で別のおしゃれなレストランに移り、飲みながら、意見交換。NIT先生は今後の交流について相談。どうかな?日本の学生の交流とはちょっと違いが生じるのかもしれない。中国への招待についても案内された。昔話もしたし、だいぶ飲んだし、楽しい時間を過ごした。ホフさん宅に帰り、交流についての意見交換を行い、程なく寝た。
(学生KMTの日記より:ヨーロッパに来て楽しいこと驚いたこといろいろなことを経験しました。日本にいたら絶対に味わうことのできない経験が出来たからよかったです。・・・今も瞳を閉じればまぶたの向こうに・・さん、・・さん、・、・、・、・・、名前を覚えられなかった人もいるけれど皆さんとてもいい人ばかりでした。これ以上書いていると泣いてしまいそうなのでもう寝ます。お休みなさい。)
 
2月13日(日曜、雪)
ぐっすり寝た。寝坊だ。あわててシャワーを浴び、8:30、食事。コニーさんが、いろいろな種類のシンケンを買ってきてくれたようだ。
9:15、出発。
10:00、開始。今日はハンブルグ弓道大会個人戦である。20射の大会。学生もオープン参加。武大Tシャツを賞品に提供した。全体には伸び合いが短く、離れで姿勢が崩れる人がおおいかな? 残身がしっかりしていない。優勝は、11中の人。
スザンネさんと旦那がもう帰るらしい。遠くからわざわざ会いに来てくれてありがとう。2年先くらいに、また京都を訪れたいと言っている。その時にまた、勝浦にも来たいという。スザンネさん、武大に来たときよりも見違えるほどよくなった。少し早いのと角見を正しい方向に利かせられるようになれば、ドイツを代表するようなよい女性弓道家になるかもしれない。
テールルームで休んでいると、KKCがファンになってしまった娘がお茶を汲みに来たので、声をかける(いやいや、KKC氏のためにね)。どうして弓道に興味を持ったのかを聞いたところ、闘争的なスポーツは嫌いで、静的なスポーツを探していたとのこと。アーチェリーのようなものがやりたかったが、アーチェリーはあまりに機械的でモダン過ぎる。インターネットでいろいろ探したところ、弓道に出会った。17才という。始めてまだ数ヶ月のようだ。まだまだ、平均年齢は高いが、若い弓道家も少しづつ増えているかな?
終了後、ホストファミリーらとともに食事にでかける。昔はタバコ工場だったところらしい。外見も趣があるし、中の雰囲気もよい。ファクトリーという店だ。何だか、記憶がある。きっとここもING先生らと来たことがある。私はエビ入りのパスタを注文。なかなか食べ物が出てこなかったので、ワインを2杯飲んでしまった。かなりいい気分。女性店員さんに聞くと、VISAカードで払えそうなので、私の招待としたい旨を伝えておいた。ゾーリン氏、仕事か何かで、先に帰る(ゾーリン氏には今日ワインをいただいた)。そろそろ終わりそうなので、支払いを済ませる。女性店員さんと仲良くなり、カウンターで話をする。日本に来たことはないらしいが、美しい国との印象があるようだ。さて、挨拶をすませ、各家庭へ戻る。カーリンさんを家まで送り別れの挨拶(カーリンさんからは今日ワインをいただいた)。日本語も出来るし、いつも笑顔を絶やさず、人柄もよいし、これからのアルスター道場、ドイツ弓道界にとって重要な役割を担うべき若手弓道家だ。明日は10:20〜10:50頃には空港へ集合。
KDIは今日は、インゴさん(カウンセラー)とバイオリンクラシックコンサートに出掛けるそうだ。KNGは日本語のレッスンをウリッヒさんに施すのかな?
ホフさん宅へ帰り、横になっていたら、寝てしまった。20:40、ホフさんがスープを作ってくれるという。ホフさんの料理はうまいので、楽しみ。
今日のスープも野菜クリームスープでおいしかった。ビールをいただきながら今後の事について話し合う。ホストファミリーはどのように感じているだろうか。英語がもう少し出来てコミュニケーションがとれればなおよい。私たちにとってはアルスター道場やホストファミリーの対応はまったく問題はない。滞在させていただけるだけでありがたい。彼らに迷惑を掛けていないかが心配なだけである。よければ来年も継続したい。他の地域でも依頼もしてくれるとのこと。
 
 
 
2月14日(月、雪晴れ)
7:15食事。7:30、コニーさんは出掛けるのでお別れ。2人からプレゼントをいただいた。7:50ホフさん出掛ける。9:30頃にホフさんは戻ってくるとのこと。出発は10:00の予定。
シャワーを浴びて、荷物の整理をする。トランクは空になったので捨てる。ホフさんが誰かにあげてくれる。カギを付けておく、誰かが使ってくれるだろう。
(学生KKCの日記より:7時にエリザベスが学校に行き、見送った後、少しママと会話をして、8時になりママが仕事に行くということで一緒に写真を撮り仕事に行くのを見送った。ママは「私の家はあなたの家。」「上の部屋はあなたの部屋。」と言ってくれた。本当に良い家と人に出会えたと思う。9時半にKMTとウーリッヒさんが迎えに来たので、最後にママに置き手紙を残してきた。伝わってくれたら良いと思う。)
10:10ホフさん宅出発。10:30空港着。スベン氏、ウーリッヒさん、ボルフガングさん、インゴさんのご主人が来る。荷物を預け中へ入る。KKCのジッポーライターが持ち込めない。仕方なく、ホフさんに預ける。送ってくれるという。最後にまた迷惑を掛けてしまった。
免税店で買い物をし、機内へ。軽食をもらい、食べる。ウーリッヒさんからプレゼントを頂いたが、前日焼いてくれた(KNGも一緒に)クーヘンだったので、みんなでいただいた。モスクワには予定より少し遅れて到着(17:30頃か)。トランジット手続き、今度は混んでいなくて、スムーズに手続きできた。Duty Free shopを見て、マイルドセブンとチョコレート、ウオッカなどを購入、カードで支払い。日本円でも購入が可能なようだ。ゲート5番で手続きをする。予定通り入ったが、かなり待たされる。やっぱり遅れて出発のようだ。時計を日本時間に合わせる。午前3:00。
機内では飲み物のサービスがあり、ワインとオレンジジュースをいただく。席は38D。最も後ろの席だ。到着は大丈夫だろうか。剣道班を待たせることになるかもしれない。食事は魚(サーモン・ポテト・サラダ。
将来の海外研修、どうしよう。時期はもう仕方がないであろう。夏ではコストがかかりすぎるだろう。弓道部以外の学生についてプログラムを考えるのもよいかも知れない。弓道部の場合は夏は無理だろうなあ。現地との調整で期間も限定されるであろう。日程はどうだろう。今年は3ヶ所で盛りだくさんだったが、ハードすぎる。もう少しシンプルな方が私は助かる。学生にとってはハードスケジュールでも充実していて良いのかもしれないが、私はちょっと辛すぎるぞ。ウィーンのセミナーは正直、きつい・・・。それはさておき、先方が良ければ、ウィーン・ハンブルクの2ヶ所で来年はどうだろう。
他の候補としては、ベルリン、ケルン、フランクフルト、イタリア、中国などが考えられる。ブダペストは新しい弓道会とのコンタクトが必要。コストもかかり、先方に利益はあるかも知れないが、我々は少々たいへんか?
ドイツは想像がつくが、イタリアはどのような対応になるか不明。フィンランドでは寒すぎるであろう。ミュンヘンなど正面グループとの接点も検討してもよい。
中国は先方のメリットは大きいかも知れないが、我々は未知数。学生の目も中国にはあまり向いていない。
ホームステイの条件については事前に打ち合わせが必要かも知れない。学生の情報をもっと詳しく知らせておく必要があり、その方がホストファミリーとうまく行くであろう。最初の滞在はホテルへ泊まり、皆で行動して、慣れてからホームステイ先へ行くのが理想かも知れないが、コスト面と相談しなければならない。
欧州への連絡はできるだけ早い方がよい。遅くとも10月には連絡してほしいとのこと(ホフ氏)であった。一応来年は7名が見込まれることはロベルト氏とホフ氏には伝えておいたが、ウィーンは7名では負担が大きいかもしれない。それぞれ土日を挟んだ方が先方は都合が良いようだ。セミナーなり、長めの稽古なりが出来、またホストファミリーとの交流。観光・買い物など一緒に過ごす時間がとれる。平日は働いているのでなかなかホストファミリーとのふれ合いが難しい。今回のレポートを弓道誌に投稿してはどうかとの意見がホフ氏から出された(ちょっと面倒だし、HPへ掲載の方が気が楽だ。)。また、何らかの研究報告が出来るような調査なり、データ収集を行って帰るということも一石二鳥であろう。卒業研究につながる様なことを学生達にやらせても良いだろう。言葉の壁が・・。
一寝入りして起きた。7:45。
10:55に着きそうな雰囲気ではないなあ。
30分遅れで成田に到着。拍手が起こる、アエロフロート。KRH運転手にTEL。10分で到着するとのこと。IJM先生、MRH先生に無事到着を報告。ONDにTEL。NTKにTEL。
武大到着は14:00過ぎか。
14:00過ぎ無事到着。学生達、色々学んだ旅だったでしょう。出発時のイライラとは異なり、すがすがしく学生達を見送り、解散。
(学生KMTの日記より:日本に帰って来ました。・・学食に行きしょうが焼き定食を食べました。・・・今日1日何をするにしても、している時でもオーストリア、ハンガリー、ドイツで出会った人達との思い出がずっと頭に浮かび離れませんでした。本当にとても貴重な経験をしました。生きていてよかった。弓道に会えてよかったと思いました。)
(学生KNGの日記より:この海外研修では、日本では出来ない経験や出会いをした。この事は、自分の人生にとっておおきなプラスとなるだろうと思う。いいものを見て聞いて食べて、まさに夢のような時間だった。)
 
 
 
 
 
 
 
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2005旅後の手記:
 昨年よりも日程が増したにもかかわらず、経費は今回の方がかかっていない。ちょっと頑張りすぎた。
 充実度は、昨年に勝る。
 学生の学習達成度も昨年より勝ると評価できる。
 来年行く学生には英語を勉強させる。
 学生が選択するならば、アエロフロートで我慢する。
 
 
 
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メモ:
国際化、国際弓連、国際大会などの問題
・メディアへの対応に許可を求めること。これはナンセンス。普及の首を絞めることになる。
・審査など日本がコントロールしようとすること。当初は仕方ないにしても、状況が調えば、オープンにすべき。審査を受けるのに、交通費・滞在費で10数万円かかる場合がある。段位や講習会を受けるのにどれだけの出費をしいられるか、日本の指導者は知っているのだろうか?
・若い人(指導者)が来ない。範士など優秀な指導者を送ってもらっているが年齢的には・・。若い人々、一般弓道家との交流も必要であろう。
・派遣される指導者は単発的である。継続的に来ない。また、リクエストしてもその指導者を派遣してくれない。コネクションをもたせたくないのか?
・各連盟で費用の分担・負担の件。難しくて英語がよく理解できなかった。
・試合などの人数の制限。国際大会ならば、各国均一にすべき。日本は実施人口が多いから多く出すというのはナンセンス。
 
メモ:
・ドイツ弓道、実質1969年よりはじまる。
 
 
 
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教訓
・KKCの手品は、言葉の壁を超える。
・折り紙は欧州人を魅了する。
・食い物はKNAにゃんに聞け!
・マスクはもつべし。
・荷物は捨てよ!
・カメラは自分で持て!
・資料・本・映像を持て。
・語学は必須。
・目覚まし時計を持参すべし。
・映るもの為す術なし。
・我が輩に辞書はいらぬ!
・もつなら電子!
 
 
 
 
 

 
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