2007

World Traditional Archery Festival

        - In Korea -

 2007年5月12日〜15日、韓国天安市(cheon-an)において、「2007 World Traditional Archery FestivalWTAF 2007世界伝統弓術祭典)」が開催された。伝統弓術家たちが集まり、デモンストレーションとシンポジウムも行われる世界最初の祭典(大会)である。日本武道学会弓道専門分科会会員として参加の機会を得た。 

 

5月12日(土)

 晴天。6:10、自宅を車で出発。道は空いている。九十九里有料道路を通り、松尾町を抜け、芝山から成田へ。7:40、USAパーキングに車を預け、送迎バスに乗る。IMITEL。ミズノ矢を受け取ってデータ入力をしておくように指示。南ウイングでチェックイン。弓は係員とともに別の場所に預けに行く。問題はなかった。今回は一人(弓が一張)のため、内竹側のみ添え竹をあてて保護した。韓国ウォンに両替をした。10000w紙幣は訳1440円。手荷物検査を受け出国手続き。7STを購入し、朴君への土産も購入した。9:40、46番ゲートより搭乗。少し遅れるようだ。10:40、離陸。

 13:10、予定より遅れてインチョン(仁川)空港に到着した。仁川は曇り。入国審査を済ませて税関で弓矢のチェックを受ける。問題なし。出口で、「WTAF」の看板を持った女性に迎えられた。女性は在日韓国人で日本名はSITさん。韓国の大学に行っているらしい。アルバイトにかり出されたのか、弓の経験はないようだ。14:20、スウェーデンから来たアンドレス・ウィルク氏とその息子と合流。キム君(学生?)とも会う。彼は日本語が少しできる。彼もアルバイトか? バスが15:00に来るというのでそれまで時間をつぶす。缶コーヒー(カプチーノ)を買ってみた。はじめての買い物。600w。かなり甘いカプチーノだ。韓国の地図も7000wで購入。15:15、他の弓術グループと合流。モンゴル、チベットほか西洋人もいる。ステファン・セルビー氏とも会えた。中国の珠海で会った、リー(李)さんとも再会。ハンガリー・ブダペストの男性は「Mr.Matsuo!」と声をかけてくれた。???「誰? 知らないぞ!」 彼の友人で、Matsuo YKさんという人がいるらしい。「同ファミリー?」と聞かれたが、日本はそんなに狭くはないぞ。しかし、もう、すでに3人から「あなたを知っています!」と声をかけられた。事務局が要求したため送った私のプロフィールが、書き方サンプルとして各国へ送られたためだ。「個人情報をどうしてくれる!!」と思っていたが、まあいい、結果的には「事前に知っていただいて光栄」ということだ。

 15:30、バスは天安市に向かって出発。高速道路のまわりの風景、植生は日本とあまりかわらないか? 広葉樹が多く、若葉が生き生きとして木々の美しい季節だ。桐の木が多数あり、ちょうど花を咲かせていて美しかった。バスはソウル近郊に入ったが、農地の向こうには高層ビルという感じであった。一部の田んぼはすでに田植えが済んでいる。

 今日の予定はどうなっているのだろう。SAT先生、KRS先生は昨日すでに到着しているはずだ。予定表を見ると、19:00〜オリエンテーションになっている。NIT先生と北海道のメンバーは本日夕方に仁川空港に到着する予定である。珠海でもご一緒させていただいたNRO先生には、韓国でもお会いする旨、京都大会の折にご挨拶した。先生は何歳だ?たしか90歳。中国へ、韓国へとお元気だなあ。私も年を重ねても先生のようにアクティブにありたい。

 17:30、途中激しく降ってきた雨も止んだ。まだ着かないのか? 高速道路も少し渋滞していたが、思っていたより遠い。18:00、ようやくNational Youth Center of Korea(今回のセミナー会場でもあり、宿泊場所でもある)に到着。部屋は102号室、THRさんと一緒だ。珠海でもご一緒させていただいた。SAT先生たちは101号室。もう食事の時間になっているということで、荷物をロビーに置いたまま、18:30、食事に向かう。食堂でSAT先生、KRS先生、そしてKGWさんと会う。KGWさんとは今回初対面である。彼はジャーナリストだそうだ。神戸より来ている。KGWさんは韓国の弓を行っているようだ。

 19:45、International conference roomにてオリエンテーション開始。2007 WTAF サム・ワン氏の挨拶。21カ国の紹介。セミナースタッフの紹介。ハン氏。The National Association of Archery for Allのヤン・スンジョ会長挨拶。キョンギドー(京幾道)弓道会長(珠海で会った韓国國弓の人)

■基調講演:ハンドン大学教授。韓国語通訳は息子(なかなかの男前)

■テキサスの人:石で作ったナイフをウォン氏にプレゼント。石で作ったオノを会長にプレゼント。鏃も自分で作っているようで、希望者にプレゼントされた。もらいに行けばよかった。

■韓国矢製作デモンストレーション

 弓矢博物館の方が2名、韓国の矢製作について説明と実演を行われた。竹矢の火入れは斑があり、日本の矢の製作技術の方が上ではないだろうか。羽のつけ方も日本の職人の方が精巧であるように感じた。弓矢博物館の存在は知っていたが、今回は無理だが、機会があれば訪れてみたいものだ。日本にもそのような弓矢専門の博物館を作ってくれないかなあ。韓国では、弓矢だけの博物館でよく運営してゆけるなあ。

■韓国弓製作デモンストレーション

 韓国の伝統弓師の方が実演をされた。温厚そうな笑顔がすてきなおじさまである。

竹はつなぎあわせて製作する。水牛の角は特定の部分のみを使用する(曲がり具合の関係上)。1張の弓に2本の角(1頭分)を使用し、内側に貼る。外側には動物の筋をにべで貼る。裏ぞりが多く、ほとんど円形状で、両弓弭部分は重なっているほどである。ロープを強くしめる道具は興味あるものであった。

 本日、予定されていた「日本弓製作デモンストレーション」は、時間と資材・工具の関係上(資材が届いていなかったらしい)、明日行われることとなった。デモンストレーションは、日本人弓師ではなく、カナダ人が行う。日本から弓師がくることができなかったのはたいへん残念である。

13日の予定:

 7:00、ロビー集合。

 7:20、駐車場よりシャトルバスで出発。朝食はバスの中。

 28m6名(YMZ先生、HRM先生、NRO先生。NIT先生、HTK先生、HRM先生)

 60m3名(SAT先生、MTOKRS先生)

 矢留のマットを確認しなければならない。

14日の試合予定:

 9:00〜15:00

 71グループ

 20m4本 USA、鹿的

 60m4本 日本、100cm遠的

 80m4本 モンゴル、シリンダー的(8×8cm62個)

120m5本 韓国、長方形的(200×265cm)

5月13日(日)晴れ

 7:00、集合。7:40、バス遅れて出発。8:00、会場(cheon-an Oryong Stadium)に着いて朝食のサンドイッチを食べる。各国の控えテントが用意してあり、そこで弓具の準備。的と矢止めマットの確認。遠的は準備をしてくれていた。遠的用的は少々黒輪のバランスが違うがしかたない。遠的用の色的を持ってきたが主催者が用意してくれたものをそのまま使うことにした。設置される遠的用的の中心の高さもかなり高い(130cmくらいか)が、固定されていて、今から変更はできないという。仕方がない、狙えば一緒だろう。遠的を引く皆さんに了解を得よう。近的は北海道グループがプラスチック製枠と的紙を持参した。昨日から心配していた安土(矢留)には、ちょうど良い畳のマットがあったが、固定式で高くしか的がつけられない。これではおそらく近的組は困るだろうと思い、無理矢理マットを外してもらい、地面に接するようにセッティングしてもらうことにした。マットへの的枠の固定にも困ったようで、「的紙を枠から外して直接マットにつけてよいか?」と聞かれたが、昨日夜遅く到着した上に、食事もせずにせっせと的づくりをされた北海道弓道家の方々を見ていたので、「それは受け入れられない」と思って、「だめです。テープででもよいから枠ごとマットにセッティングしてください。」とお願いした。的串はどうも刺さりそうにないので、「テープで!テープで固定して!」とお願いした。セッティングの打ち合わせがおわり、すぐさま入場行進のリハーサル。各国ともだらだら歩いていて、スタッフはピリピリしているようだ。もう少し、みんな運営に協力してあげないと・・。

 

   
 

 本番開始。入場行進・整列。オープニングセレモニー(いろいろな来賓挨拶があり、長かった)。セレモニーが終了し、韓国民族芸能デモンストレーション、軍隊デモンストレーション、韓国國弓デモンストレーション。韓国の発火式連射機ロケット矢は注目の的だ。大いに盛り上げた。江戸時代の日本の文献の中でも似たような兵器の絵図を見たことがあるような気がする。IRE先生の研究室にあった資料だ。韓国のこれを真似た兵器だったに違いない。

 各国の弓術デモンストレーション開始。日本は2番目。28m6名(YMZ先生、HRM先生、NRO先生。NIT先生、HTK先生、HRM先生3中)。60m3名(SAT先生2中、私2中、KRS先生3中)

 近的のセッティングは、最終的にどう工夫して固定してくれたか確認していないが、矢もそれる恐れもないようにうまく近的マットもセットされていた。速やかに対応してくれたスタッフに感謝したい。威儀を正した日本の演武は物珍しかったのか、多くの方が真剣に見てくれて、好評だったようだ。一方、「何故肌を脱ぐのか?」「なぜもっと早く準備してから行わないのか。」などの疑問をもたれた方もいるようだ。

 チベット(実際には中国に属する地域から来たようだ)のデモンストレーションは良かった。引く前に鳥のまねのような儀式の踊りがあり、かけ声をかけてから始める。的中はさほどよくないが、中ると踊りがはじまる。衣装も上着は黒でシック、上着を脱ぐと華やかな民族衣装。弓を引くことが儀式的であり、余興的でもあり、お祭りだ。賑やかだ。一昔前のお酒の入った四半的の雰囲気を思い起こさせる。

 スウェーデンの少年は、少々ナーバスになったのか、的中は良くなかった。あまりにあっさりと引いた。

 ハンガリーの人達はよく中る。矢数も半端ではない。近くで見なかったが、演出も上手だ。

 USAの石鏃を作る人は、本当にオタクだ。石鏃は黒曜石やフリントから作る。黒曜石はアメリカでは数カ所とれる場所があり、フリントはいろいろな場所でとれるらしい。控えテントの中でもせっせと鏃づくりに励んでいた。隣のテントだったので、通訳スタッフの女子大生たちと一緒にしばらく油を売った。彼女たちは弓は素人なのに鏃づくりににえらく興味を持ったようで、ずーっと作り方を観察していた。「これ、ほしいー。ペーパーナイフにできるわ!」「首からぶら下げときたいわ!」・・・ 何事にも関心をもって細部まで観察する彼女たちには感心した。「おじさんに「ほしいー!」と言ってみな!」 その後、彼女たちの希望はみごとに適った。

 韓国弓は両肘を曲げて構える。左足はまっすぐ的方向へ、右はオープンスタンス。左引きの人は逆になる。打起しは楽にして構えるため、矢先はかなり上を向く(145mの場合)。どちらかというと妻手を早く引く納め、最後の弓手をぐっと押して伸びるような感じに見えた。弓はかなり伏せている。手の内はべた押しで人差し指の先端を弓の外竹へ中てている。人差し指の位置は重要らしい。

 各国の弓術デモンストレーション、もう少ししっかり見ておけばよかった。まあ、そのほかにも興味をそそるものがたくさんあって、うろうろしていたのだが。韓国の弓具屋さんのテントをまわり、指機2種類を購入した。12000円くらいだっただろうか。

 日本の矢の見本として矢がほしいという人がいたので(韓国人)、遠的用の矢であることを説明した上で、1本差し上げた。國弓のクラブに所属している人で、日本のユガケや弓も展示してあるそうだ。展示していただくには少々恥ずかしいジュラルミンの古い遠的矢だ。今後見本用にバラになってしまった竹の矢などを持ってきてプレゼントするのも良いだろう。ジュラルミン矢よりも竹矢の方が展示用・教育用としてはよっぽど良い。見本用なら引けなくなった竹弓でもよいだろう。新しい必要はない、古くとも本物ならば充分見本として活用していただける。次の機会がもしあるならば準備来たい。

 このフェスティバルでは、客寄せのためであろうか?100台もの自転車が準備されている。抽選であたるらしい。我々も参加できるのか?当たっても困るか・・。(結局我々は参加できない。来場の観客のみらしい) 貞子の友達が抽選に当たったらしい。

 18:00、夕食。NRO先生が空港で買ってきたという、お酒「男山」をいただいた。貞子、日本酒初体験。NRO先生が貞子に、「他の人(スタッフ)にもあげて」と、おちょこをプレゼント。

夕食後、屋外にて和弓製作デモンストレーション(カナダの人)。彼は自分で日本の弓作り研究した後、柴田勘十郎氏に弓製作を教わったという。京都弓スタイルの製作だと説明していた。北海道の女性は、「韓国でカナダ人から日本の弓づくりを見せてもらうとは思わなかった、感激した。」という。微妙。

 21:00、ロビーには世界の弓オタクが集まって弓談義。ビールもいただいた。誰にもフレンドリーで、一生懸命お世話をしてくれる貞子さん(ジョー)にはTシャツをプレゼントした。

5月14日(月)晴れ

14日予定:

 7:30〜8:00 朝食

 9:00 セミナー・シンポジウム開始(National Youth センター内国際会議場)

      午前3名発表。昼食。午後2カ所に別れて同時進行。

 9:20 大会組出発(韓国の國弓道場)。

 私はセミナー・シンポジウムに参加。約50名の参加があった。日本からはSAT先生、NIT先生、KGW氏、私、それに日本人学生が参加。受付で分厚い資料をいただく。挨拶ののちに早速基調講演に移った。

■『基調講演(WTAF資料21ページ)』。Ji Gon-gil氏(Dong-A University 教授。National Museum of Korea 名誉館長)

 青銅製の鏃が墓(古墳)の中から発見された(WTAF資料写真)。弓矢は腐ってなくなってしまうが、幸い焼けた弓矢が炭素化され遺物として残される場合がある。青銅器時代でも青銅器で鏃を作るのは難しいため、同時代においても主には石鏃が使用されたと考える。鉄器時代には鉄でできた鏃が発生する。高句麗の壁画(有名なもの)には当時の様子を知るのに貴重な絵が描かれている。鏑矢、節のある弓。弓には4つ?の節がある。矢筒。当時の弓の様子を見ることのできる重要な遺物。

■『2007WTAFYang Seung-jo会長あいさつ』。

 ヤン会長が遅れて到着したため、基調講演の後に挨拶された。

「民族伝統文化の価値は多くの人々が認めているものの、これまで各民族間での交流はあまりなかった現実がある。この祭典は、世界民族弓術の交流として、はじめて開かれる意義あるものである。試行錯誤しながらこれまで多くの人が努力をしてきた。今後のますますの発展を願う。この祭典において国際交流が行われることをすばらしいことと考える。ここに集まっていただいた世界民族弓術家、研究者の皆様に心から感謝申し上げたい。」と挨拶があった。

■『ヨーロッパの伝統弓と弓製作』(イギリスのヒラリー・グリーランド氏。 Hilary Greeland ♀ WTAF資料p31〜)

 弓にはイチイの木が多く使用された。Yewtree)。アジアからの影響で合成弓が作られ使用された。オランダ人の弓(WTAF資料写真)。イチイの木で作られ大きい弓。モンゴルの弓はヨーロッパ軍の弓よりも優れていた。合成弓は価値ある効果的な弓であった。レンブラントの描いた絵には合成弓が描かれている。90gを超える矢、150ポンドの弓(イタリアのイチイの木を材料)もある。

 イギリスの弓、中世時代まで長弓は使用された。

 健康のために弓を引く女性が多くいた。屋外活動の1つとして行われ、人気があった。中間階級と上流階級の女性が弓を引いた。

 イギリスでは指3本は良い意味ではない。したがって弓を引く際にも指3本ではなく指2本を使って引いていた。イギリスの長弓の強さは、現在が50ポンドくらい。

■『Indegenous Archery on the North American Plains:Adaptation and survival』。(Roland Bohr : Canada WTAF資料p151)

 インディアンの弓はアジアの合成弓とは違う。動物の筋を使用した弓。馬を使った弓術の発展。馬も訓練を行わなければならない。木の材料は少なかった。40〜50ポンドの弓を使用したと考えられる。インディアンにとっては弓は重要な意味がある。

 Hidatsa(ヒダッサ族)は非対称の弓を使用した。ヨーロッパ人には非対称の弓を上下逆にして発射実験を行ったため、非対称の弓は非効率的であると考えたが、これはインディアン弓に対する誤解であった。30m程度は矢はまっすぐに飛ぶ。

 質疑(リ・オンギ氏Lee Yonghee Agency for Defense Development):「交流はあったのか? 弓の共通点は? 1つの部族で非対称の弓が使用されたのか?全体なのか? 弓の上が長いとなぜ弾道が早くなるのか?」

 部族間の結婚で弓矢を交換した。戦争での交流。貿易での交流。北米の東部地域で長弓が開発され、動物筋を貼った弓を開発した。各地域の特色にあわせて作られ広がったため、その地域の特徴をもった弓がある。

 非対称の弓はこの地域でしか見られない。

 なぜ水平な弾道をもつのか私は説明できない。握りの上が長いのは扱いやすい。馬が入る前から弓矢を使って狩りをしていた。

 KGW氏の質問:

 「韓国弓は140mという距離の弓術が発展したのは、狩りではなく戦いのためではないのか? インディアンの弓は、部族間の戦いが少なかったからではないか?」

(さすがにKGW氏の視点は鋭い。各国の弓は地域性、弓の必要性、世相を少なからず反映していることは確かである。それを無視しては考えられない。)

 午前の予定を終え、昼食。

 韓国人の女性で日本語通訳を行っている人は、秋田に留学し、留学中弓道を学び初段を取得したらしい。彼女の高校から毎年数名が留学をしているらしい。韓国の若者は弓術に興味を持っている。「韓国には弓道連盟がないので・・・」と言っていた。いろいろな情報と弓道を学んだ人同士のコネクションを結びつけることが必要であろう。ネットワークづくりが必要である。弓道経験者の人のつながりが連盟づくりの基礎となるであろう。彼女は日本式弓道場を韓国につくりたいと言っていた。

■『Traditional Bow Making and Archery in the U.S.A(Steve Allely WTAF資料p87〜)

 西の方の弓は長かった。馬に乗る場合には短くなる。原住民は大平原の外に住んでいた。狩りは難しい。馬の導入により狩りはしやすくなった。1日の狩りで家族が皆生活できる動物が獲られた。弓の文化は馬の導入により短い弓に変わった。角弓も見つかった。イシという最後の部族は弓の普及に大きな意味を持った。Howard Hill , Fred Bear という2人は本を書いた人で、大きな影響を与えた。

 質疑(Lee Jangson)。「弓に使用した木材は? 接着剤の素材は? 桜の木の皮が使用されたが湿気に強いことを知っていたのか? インディアンが弓を射る時の姿勢について教えてほしい」

 接着剤の素材は動物性のもの。動物の内臓を使って接着剤を作った。地理的に離れている地域でも同じ方法をとっていた。桜の皮を使った弓は見たことがない。塗料を塗って湿気防止にした弓や、蛇の皮を貼って湿気を防止したり、魚の鱗を貼って作った弓も見たことがある。天候の良否によって違う弓を使用していた。いちいの木の赤い部分だけを使用して弓を作った。筋を用いた弓はいちいのような木は必要がなかった。それは弓が充分に強くなったからである。

■『Shamanic Archery Practice(Jack Farrell ジャック・ファルル)

9世紀:平らな鏃が増えた。平らで槍の様に大きなものが見られる。だいたい平らなものが多い。大型のものが多い。

 12世紀:平らで大型。完成度は高い。占いなど、宗教的に多く使われた。山に持っていって祈りを行ったものが現在発見されたと考えられる。

 13世紀:V字型のもの。V字型は北の方では発見されていない。

 文字の書かれた鏃・・・占いのためのもの。鏃を使って裁判を解決した。シャーマニズム的。神様の決定を伝えるもの。裁判の勝者、敗者を決めるため、「幸運の鏃」とも呼ばれた。宗教に関する文書が鏃に書かれている。カラベル博士は鏃に書かれた宗教に関するものを発見した。

 スキタイ人は弓を権威の象徴と考えていた。

 14世紀:V字型の鏃、Y字型の鏃。トルコの鏃と韓国の鏃のレプリカを比較。韓国、王様の命令を伝える時に使われた鏃。どういう意味があったかは明らかではない。何か伝えるものがあったと考えられる。

 質疑(陸軍師範学校 アンジョーアン氏)

 シャーマニズム的のため、鏃をたくさん作った。音を出す鏃はシャーマニズム的にかかわる。厄払いの機能の鏑矢もあった。鏑矢は戦いには向いていない。戦いにも使われたと思われるが、機能的ではない。韓国で発見されたものは中央アジアのものとは相当異なる。

■『Traditional Archery and Bow-making in China』(Xu, Kaicai

 中国の伝統弓の製作はなくなっている。少数民族では製作されている。弓を作ることは伝統文化の遺産になってしまった。韓国の弓が中国の弓より優れた弓であることがわかった。韓国の弓づくりを学び、中国の弓づくりに役立つことが考えられる。

 質疑(カンシノ氏)

■日本の弓道:SAT先生講義

 午後3番目はSAT先生の発表であった。講義の内容はたいへん良かった。弓道を知らない外国人のために弓道の全体像をわかりやすく説明されたと思う。丁寧にゆっくり話をされたので通訳もしやすかったのではないだろうか。他の発表者の中には、すごく早口な方もいて、通訳された日本語を聞いてもさっぱりわからない発表もあった。現在の弓道の発展の様子も数値データも含めて説明されたが、多くの方々は驚かれたであろう。韓国國弓も日本の弓道に対しては一目置いている感がある。日本弓道がなぜ日本のみならず世界に広まりつつあるのか? なぜ世界に受け入れられているのかを探り、韓国國弓を世界を目指したいと考えているのではないだろうか。

 質疑:

 韓国の人にとって日本弓道の肌脱ぎはショックだったようだ。何故?肌を出すのか? 何故最初から脱いで出ないのか? なぜ邪魔になるからだとしたら何故邪魔にならないような服を着ないのか?

■韓国弓の歴史:ホンミンビョ先生

 3000〜5000年の歴史を持っている。1970年代頃から大きな変化があった。伝統的な角弓でなく・・。現代の韓国弓は1970年代からの弓。大きな変化は服装。1970年代以来。「弓道」という言葉は日本で生まれたもので、韓国でも1970年代に入り、「弓術」から「弓道」という言葉になった。1970年代から射も変化した。20年前から手を広げる射から手を広げない射になった。韓国の弓の礼儀を見てみると・・・。左手の方が年配者が立つ方である。右の手で引く。最も左に立つ人が先生。他人の弓にはさわらない。矢台に置くとき、的の方に矢が向くようにする。韓国人は奇数を好む。1本目、3本目、5本目を中てた時に祝う。雉の羽を使用した。竹矢。

 質疑(KGW氏。リポーター、ジャーナリスト、フリーライター)

 「19c末まで武器として使用された。何故19c末まで武器として使用され続けたのか? 16cには日本から鉄砲が入っている。145mの距離で競技を行う。白い衣装は何か意味があるのか? なぜ韓国には狩猟弓がないのか?」

 明確に狙って中てられるのは150m。飛ぶだけならば300m以上飛ぶ。鉄砲が入っても弓の正確性から19c末まで使用された。士族は皆弓を引いていた。植民地時代、水牛(ベトナム・中国から輸入)などの弓を作る物資は不足した。植民地時代には弓の生産を規制する。角弓では弓を引くのが難しくなった。戦中は水牛の角を利用できなくなる。弓を引く状態ではないのに皆隠れて弓を行った。それは弓道の魅力があったからだ。145m射るには風の影響も受ける。145mに距離は韓国弓がもつ課題。大会の服は、1980年代に服を作る意見があったが従われなかった。1980年代半ばに強制的に白い服にした。白にしたのは偶然である。植民地時代には日本人が狩猟を指導した。貴族は健康のために弓を行ったが、狩猟のためには行わなかった。もっと研究が必要。矢声をかけたりすることはない。

MTOQ

 20年前から何故手を広げない射になったのか?

 競技性を押し出して広めようとしているのか?伝統的なものを押し出して広めようとしているのか?道としての弓を押し出して広めようとしているのか?

 日本の弓よりも韓国の弓は・・・

 現在のような國弓道場はいつごろからつくられるようになっているのか?

 6:30、夕食。

 本日のセミナーにおける、午後の2コース分けは必要だっただろうか? 人数が分散するし、1コースだけでよかったのではないか? あとで報告書を作成する予定のようだが、メニューを欲張りすぎた感がある。同時進行で、國弓道場では試合も行っているし、全員が参加してのシンポジウムであればよかったと思う。たいへん勉強になる意味のあるシンポジウムであったと思う。北海道の人達にもシンポジウムに是非参加してほしかった。たしかに全員来てしまうと、同時通訳のヘッドホンの数も足りなくなり、問題であったのかもしれない。シンポジウムは良かったが、試合の方も是非見たかったのに残念。本日は昨日の競技場ではなく、國弓道場で試合がおこなわれたようであるし、道場を是非見たかった。盛りだくさん過ぎて時間が足りない。スタッフもたいへんであったろう。

■表彰・伝統弓交換式・パーティー(1730〜 シンポジウム同時進行)

 仲良くなった國弓の女子高生?2名と男子中学生?1名らがもう帰るというので別れの挨拶をする。彼らは姉弟と従妹らしい。國弓は3ヶ月〜1年の経験がある。香港から来た人も一緒に弓談義。

 屋外キャンプファイヤー会場にてフェアウェルパーティー。生ビールと韓国焼酎を飲む。

 14日の試合結果発表と表彰。優勝:USA在住の韓国弓のキム氏が優勝。2位:??? 3位:モンゴルの人。


 優勝したキム氏は品のある韓国人紳士で、仕事でアメリカにいる。現地では韓国弓の指導を行っているそうだ。NRO先生は90歳であることを伝えると、たいへん驚かれていた。(日本に帰ってきてからキム氏からメールと添付写真、ならびに大会報告をいただいた。)

 各国の伝統弓と韓国弓の交換式が行われた。各国からあるいは個人からYang Seung-jo会長に伝統弓が手渡され、会長からお返しの韓国弓が送られた。日本からは北海道のNRO先生が代表して会長へ弓矢をプレゼントされた。(持ち帰られた韓国弓は、現在、北海道の寺内弓具店内に展示されている。)

 

 (交換式が終わって、NIT先生と私はパーティー会場を抜け出し、同時進行されているシンポジウム会場へ急いで向かった。とにかくイベントのメニューが多すぎる。)

■シンポジウム(1730〜 表彰式・パーティー同時進行) 約20名参加

 会場ではセルビー氏がコーディネーターを務めていた。

 ハンガリーの弓:ハンガリーの弓は一時期、誰も練習をする人はいなくなった。ハンガリーの弓の復活への試みと成果は、世界の伝統弓術復活に大きな勇気を与えた。

 韓国:伝統弓が世界で活性化するために・・・韓国弓道が世界最初にWTAFのようなイベントをもうけたことに感謝と敬意を表する。Stefanセルビーさん:伝統弓発展のための方策、世界伝統弓発展のために私たちがしなければならないこと・・

 NIT:日本として今後の事を考えなければならない。私は日本で30年間指導した。中国で12年間、合計42年間指導をしている。異文化理解が大切。今回の弓フェスティバルの機会と同じようなものが必要。外国文化と衝突することもあるだろうけれども、どの辺で一緒にできるか、共通面を拡大、勉強して、世界の人々と理解し合ってゆかなければならない。比較的、アジアには共通の考え方があるのではないか、儒教的な考え方があるのではないか。

 師範大学キム氏:セルビー氏、トーマス氏に感謝する。人的ネットワークと政府の支援が大きな意味をもつ。

 2100頃、シンポジウムでの記念撮影をして、終了。もうパーティーの方は終了しているかも知れないが・・・と思いながらNIT先生、SAT先生と、遅れてこられたスポーツ流鏑馬を行っている神奈川のTNK氏と会場に行ってみると、まだ十数人が残って話をしていた。ビールを飲み直す。貞子さんもいた。フランス人の若い人とも仲良くなった。弓道も行っていて初段だという。ここに来ている別のフランス人は国際弓道連盟設立記念大会に出席をしたらしい。結構弓道経験者がいるのだなあ。会長国会議員の秘書とも仲良くなり一緒に飲んだ。「弓道を見てかっこよいと思った」と言ってくれた。珠海で会った韓国弓の若者もいた。

 カナダ人ではあるが、日本弓製作デモンストレーションもあったので、小山氏より預かってきた桑畑弓氏のDVDは、皆さんに見ていただく機会がなかった。General Director of 2007 W.T.A.F.Won, Sung-Mo氏(The National Association of Archery For All)に挨拶して、DVDを持ってきた経緯と小山氏の意向を伝え、DVDを手渡した。韓国弓の人達、韓国弓師などに見てもらって、教育的に活用したいとおっしゃった。

 LEE氏、貞子、秘書、フランス人、國弓若者らと会場を後にする。途中弓オタクらが騒いでいるのに捕まる。ハンガリー人が記念メダルをみんなに配ってくれた。ハンガリーチームはこの機会を最大限に活用してハンガリー弓を宣伝している。ハンガリーチーム、なかなかの好印象だ。いつまでも終わりそうにないので、3人は抜け出して部屋に戻る。早起きして北海道チームを見送ろう。就寝。

5月15日(火)

 3:30起床。北海道チームを見送る。タクシーは遅れるらしく、貞子が見つからない。4:10起きてきた3名のスタッフもあわてている。4:20貞子見つかる。他の部屋で寝ていたのだろう。タクシーはまだこない。4:30、ようやくタクシー3台が到着してすぐさま出発。挨拶もそこそこに見送る。5:00発のインチョン空港行きバスに間に合っただろうか?

 また、一寝入り。

 8:00、朝食を済ませ、8:30仁川空港行きシャトルバスで出発。ハンガリーの人へチヘアーチェリークラブ、カッシャイビレッジ、ソンバトヘイを訪れたことがあることを話した。となりの席のポーランド人が話しかけてくれて、彼の友人に弓道家がいるらしい。友人は日置流を学んでいて、ほかにも正面の弓道家もポーランドにはいるようだ。ポーランドにはSAT先生,KRS先生ともに訪れたことはない。MOR先生はどうだろうか?たぶん訪れていないだろう。ホフ氏がセミナーを行ったのはポーランドだったか? いや、デンマークだったな。ハンス氏かポール氏でも訪れたのだろうか? または、他国までセミナー参加に行って学んだのだろう。

 INNER MONGOLIA NORMAL UNIVERSITYYi Dogang先生が、将来、中国・韓国・日本などの弓の歴史について一緒に書かないかという話をいただいた。今後メールで打ち合わせることにした。

 中国人で韓国に住んでいて日本語を学びたいという人と雑談。韓国で中国語を教えているのか? 今回のWTAFには中国人のための通訳として来ていて、弓は経験がない。

 11:00前、仁川国際空港に着き、皆と別れる。12:00を過ぎないと朴氏と連絡が取れないので、それまで時間をつぶす。

 韓式料理店に入り、朴氏との連絡を試みる。2回目にして電話が通じた。今、空港に向かっているところだという。レストランでは石焼きビビンバを注文し、生ビールを飲んだ。石焼きビビンバは13000w。13:00過ぎ、朴氏と合流し、車で富川市に向かう。

 富川市までの道は、少々渋滞。14:30富川市の総合スポーツ施設のようなところに到着。ここには韓国國弓の弓道場がある。富川弓道会と富川亭が一緒に練習している。富川亭の方はモダンな國弓で、富川弓道会の方は伝統的な國弓だという。少し違いがあると言っていた。我々が訪れたのは富川弓道会で、朴君が事前に責任者の先生に連絡をしてくれていた。富川亭は年間で会員登録をし、富川弓道会は月々で会費を納めている。富川弓道会の責任者に挨拶し、お茶をいただく。なんと富川弓道会にはWTAFに参加した人もいて、4人くらい見た顔がある。どうやら、青と赤の衣装でKorean traditional archery performance演武をしたのはここのメンバーだったらしい。遠的矢を差し上げた人にも再会でき、びっくり。弓具や引いているところの写真を撮らせていただいた。馬上弓も行っているワイルドな韓国人が親切にいろいろ説明してくれ、下の階にある弓矢博物館にも招待してくれた。普通は写真を撮ることはできないらしかったが、特別に許可していただいた。WTAFで見た、連射ロケット矢と発射装置もあった。超特大のロケット矢(火矢)もあり、全長は約5mくらいだろうか。火薬の筒も直径10cm以上で長さは1m近くあるだろうか。羽も1mくらいのものがつけられていた。竹製物干し竿が飛んでゆくイメージをしてもらえれば想像がつくだろうか。


 國弓の体験もさせていただいた。帯のつけ方から学び、素引き(作法も含む)、そして矢番え、呼吸法も短時間で教えてもらった。次に実射。初心者にもかかわらず、いきなり145mの的を狙う。だいたいの狙いを教えてもらって発射。空に向かった矢筋は良かったが、途中から矢を見失う。届いていないことは確かだ。全部で5本引かせてもらった。

方向はおおむね良かったが、すべて届いていないようだ。矢取りに行ってみると思ったよりもまったく飛んでいない。100mちょっとのところの地面に刺さっている。矢取りは自分の矢だけ取るようだ。弓には35の数字があったが、通し番号か?ポンド数か? 届かなかったのは残念。かなり上げたつもりではあったが。勉強になる経験ができ、韓国國弓射法の概略ではあるがイメージができた。左手はひねりを戻して手のひらが上向きになるように離すのは意外だった。距離が遠いからか?近距離でもか? 残身も左手を大きく広げるのは知らなかった。20年前から手を広げなくなったことをシンポジウムで聞いたが、それはモダンな國弓だろう。韓国では昔から大離れだったのだろうか?

◎矢取り自転車なるものを発見!!  ◎矢取りマシーンを見た! 恐るべし!韓国國弓!

 

◎ワイヤー付き矢、発射練習装置も!! そこまでやるか!

韓国弓は基本的には馬上での射を想定しているものと考えられる。足踏みはオープンスタンスで、腹を的に向けるイメージで立つ。馬上で前方の敵に向かって引くという想定で弓射の基本が考えられているのだろう。


 SAT先生は、持ってきたグラス和弓と矢2本を富川弓道会にプレゼントされた。お返しに韓国弓をいただかれた。同弓道会では教育用教材として展示するとともに下の博物館のように見るだけのものではなく、触れて、かつ引ける教材として活用するという。たいへん喜んでいただいた。責任者の顔をみるとどうもTKM先生を思い出す(笑)。はじめて会った気はしない。次回は私も何か資料を持参しようと思う。

 ホテルにチェックインして、すぐに食事に出かける。朴君が予約をしてくれた店で。韓定食をいただく。日本の定食のような感じではなく、コースのようなものである。いろいろなものを食べ放題のごとく机に並べてくれた。実際にお代わりも自由のようだ。こんなにめいっぱい食べたのは久しぶりで、満腹!満足! たいへんおいしかった。いろいろな種類の韓国料理を食べることができてたいへん楽しい夕食であった。汗をかきながら韓国料理と最後の晩餐を楽しんだ。生ビールのほか、どぶろくのような酒(マッカリというやつか?)もいただいた。しかし、辛いのが苦手な人は韓国で生きてゆけそうにない(笑)。韓国に「辛い」という言葉はないらしい。朴君曰く「子供にとっては辛いはずなのに、まわりの大人が辛い物を食べても何も言わないので、子供のころから「辛い」ということを知らないで育つと思います。私も汗が出て体が熱くなりますが、辛いとは思いません。でも汗はでます。」、なるほど、恐るべし韓国人。デザートにはニッキなどが入った飲み物。におい消しの役目なのだろう。支払いは、朴君がさっさと済ませてしまった。「だめだ!だめだ・・・」と、70000wを無理矢理朴君に渡す。

 食後、散歩し、デパートの食品売り場へ。韓国海苔とコチュジャンを買った。ホテルに戻り、朴君と別れる。明後日から試合なので、明日朝、試合のある他の町へ移動するらしい。朴君、忙しい中、いろいろとありがとう。帰ったら、OOY先生他剣道の先生にに近況を報告しておきます。

 KRS先生のパソコンを借りてメールチェック。入浴。これまでシャワーしかなかったので、久しぶりの風呂だ。明日7:00、大型のバンタクシーを朴君が手配してくれている。空港まで50000wらしい。就寝。

5月16日(水)曇り

 6:00起床。7:00ホテルを出発・7:30頃空港着(予定よりかなり早かった)。チェックインがまだなので、しばらく待ち、手続き。アシアナ航空はどうも遅れるらしい。しかも、10:00発予定が13:35に変更になった。大韓航空にも空きがないようだ。どうにもしかたがない。10000wの食事クーポン券をお詫びにと言って、くれた。SAT先生、KRS先生に挨拶をして別れる。朝食はまだだったので、レストランを探しに3階に上がった。ちょうど、朝食バイキングの店があったので、そこにきめて、13200wのバイキングで腹を満たし、時間をつぶす。コーヒーを3杯飲んだ。レストランを出て、フラフラ・・、フラフラ・・、一服!、フラフラ・、フラ・・、一服!・、フラ・・フラ・・、・フラ・・、・・、一服、フラ、・・・。

 手荷物検査を受け。出国検査。デューティーフリーを見て回る。たいしておもしろい物はない。ソファーに座って日記を書いて時間をつぶす。

 ようやく搭乗し、少し遅れて離陸。日本の新聞を読んだ。

 成田着。USAパーキングに電話し、送迎バスに乗り込む。

 成田からの帰路につく。有料道路を利用して帰ってみよう。

 6:30自宅到着。成田からは結構早く着いた。料金はかかるが、急ぐときにはこのルートが良いだろう。

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■後記:

 初めての韓国、観光らしきものは何もしなかった。唯一昨晩の韓定食に韓国を大いに感じ、楽しい夕食であった。

 WTAFは、第1回目であり、初めての試みとしてたいへん評価できる。日本の弓以外の弓を見聞きし、たいへん勉強になった。お互いの情報交換は大切であろう。多くの人と出会った。世界の弓オタクをたくさん発見した。このような催しを通じて世界の弓好きが互いに分かり合える。韓国は日本の弓道をもっと知りたがっている。韓国弓の普及のために日本の弓道の発展はお手本となり得る。韓国弓の門外者ゆえに見えてくる問題点もある。韓国弓は、普及と伝統とどちらにウエイトを置いた選択するのだろうか? 韓国弓の選択と行く末を見守りたい。

中国の伝統弓職人復活には、韓国や日本の弓職人の技が有益な示唆を与えるだろう。特に韓国の弓師は中国弓製作伝統復活に大きな貢献をするだろう。今後の職人交流が望まれる。各国に残されている伝統の職人技、伝統射術、弓関連道具の品々、これらが変容してしまう前に、今残っているものだけでも、残したい。少なくともデジタル写真・映像で残しておくべきだ。WTAFが働きかけるべきだ。個々の取り組みがネットワークになる、それが、今後の世界伝統弓に必要な事だろう。日本の弓道はあまり、心配ないけれど、サポートが必要な国々がある。各国の弓矢研究者と弓矢職人がもっともっとかかわってくれれば良い方向に進む。弓引きは互いに理解し、親善を深めることでよい。日本からは、大先生を派遣する必要はない。コミュニケーションを取ることのできる弓道家、あるいは若者が望ましい。職人は絶対に派遣すべきだ。研究者も是非派遣すべきだ。全弓連に是非考えていただきたい。

その後、2007WTAF事務局から、今回のフェスティバルについてアンケート依頼があった。上記のようなことなどを書いて送り返そうと思う。キム氏からは彼の2007WTAFレポートをいただいた。韓国人の視点も私にとっては新鮮であった。広い視野で見つめなければならないことを改めて感じた。

◎最後に、

2007WTAF実行委員会をはじめ、通訳の方々、お世話いただいた方々に心から感謝を申し上げます。

また、このような機会に参加させていただいたことをたいへん光栄に存じます。

各国の伝統弓術が正しく継承され、ますます発展してゆきますことをお祈り申し上げます。

 

 

 

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