2009欧州弓道旅日記
 
 
 

 
2008年度「海外研修(弓道班)」引率  2009年2月11〜20日
 
 
2月10日(火曜)
KNKが交流に備えて日本の歌を準備してくれている。TKIはプレゼン用PPTを作ってくれた。私は写真スライドショーを3つ準備した。研究室にて弓と矢をまとめる。OGWは都合により、明日直接持参。
 
 
2月11日(水曜)
6:50大学集合。7:05武大バスにて出発。SGTより連絡をもらい、OHRのFMMで拾ってもらう。
9:00成田空港着。オーストリア航空を利用なので、第一ターミナル、Dカウンターでチェックイン手続き。手続き終了したが、スポーツ用品で弓は長さが規定を上回るため、ラージサイズのカテゴリーで超過料金300ユーロがかかるといわれた。長さは長いとはいえ、「32kg越45kg以内 かつ/または200cm超277cm以内」のウインドサーフィンやハングライダー・カヌー・カヤックとなどと同じカテゴリーにするな馬鹿野郎!!荷物の形状で一番近いのはスキー板だろう。もし分類するなら、スキー用具、ゴルフ用具と同じスモールサイズ「15kg以下 かつ/または140cm以下」のカテゴリーだろう。見たら判ろうが!!(怒)(結局は搭乗口で受け取ったレシートには70ユーロと記載されていたが)
そんなに払うのに、破損に関しては免責。サインをさせられた。重さは弓をまとめて6kgくらいのはず。スキー板ならば1人1セットは無料。長さはあるけれど、スキー板よりシンプルな荷物なのに・・(呆)。来年はスキー板と言い張ろうか(冗談)。今後、航空会社も見直す必要がある(怒怒)。
(弓道関係者へ御注意:オーストリア航空は弓に超過料金がかかります!!)
銀行でユーロに換金。RATE CASH は121.60円。2年前は162.55円だった。免税店でお土産を調達。11:00に36ゲートに集合。学生へは300ユーロを返還。映画を見て、少し寝て、あとは頭が痛くなるほどにゲーム三昧。
16:00到着予定が15:05に到着。どんよりとした天候でやはり日本より寒い。早速ロベルト氏に電話。たまたま、マーチン氏が到着予定をインターネットでチェックしたらしく、到着が早まる情報が伝わっていて、紅葉会のロベルト氏、やごろ弓道会のブランコ氏がすでに迎えに来てくれていた。私はロベルトと車でホテルへ。学生は電車で、女子はブランコ氏宅へ、男子は途中駅でマーチン氏と合流してマーチン氏宅へ。
ホテルにチェックイン。7時にシュニツッエルのレストランで合流予定。ホテルは3年前に泊まった、PENSION HAGRITA。部屋は小さいが綺麗。シャワーが難点、水がシャワー室から漏れ出る。
19:00前にロベルトと合流し、レストランを探す。歩いてゆける距離だ。以前ににも来たことがあると思う。学生はすでに到着。R,M,B,のほか、フロリアン、ミヒャエル、ブリギッテさんも来ていた。
6人で3皿を注文した。これでも多いくらい、十分な夕食。学生も疲れた様子ではあるが、初日の夕食を楽しんだであろう。マーチン、ロベルト、ブランコに皆からのお土産を渡す。
明日は6:30朝食。7:00にロベルトと会い、車でスードバーンホフへ向かう予定。学生へは各ステイ先で時間等を確認するように指示。7:57の列車で、10:37グラーツへ到着予定。11:15〜12:30頃まで武器武具博物館を見学予定。午後は昼食を済ませて市内を散策する。16:30頃の列車で戻り、19:00頃ウィーンへ戻る予定。
 
 
2月12日(木曜)
6:30朝食。ハム、サラミ、ジャム。コーヒー2杯。インターネットについて聞いたが、ペンション内ではできないようだ。近くのネットカフェを紹介された。
ロベルトから電話。少し遅れるとのこと。7:10ロベルト氏と合流。車でスードバーンホフへ。スパーで飲み物とモーツアルトチョコを調達。グラーツへは5名で約190ユーロ。マーチンへ支払う。
7:57発。ウィーンを出てしばらくは比較的平坦地。ブドウ畑が広がっている。広大な農地も広がり、日本の農業とは全然違う。1時間くらいしたら、少し山道を登り始める。センメリング鉄道(Semmering Railway)という、山岳鉄道線を通る。この鉄道はイタリアへつながっており、海へとつながる。したがって、このような山岳地帯であっても鉄道を通すことはたいへん意味のあることだったのである。たくさんのトンネルと石橋が数多く造られている。たいへん険しい地帯が続いた。
10:37グラーツハウプトバーンホフへ到着。路面電車でシティーホールの前に到着。マーチン氏が焼き栗を買ってくれた。天津甘栗ほど甘くはないが、剥きやすくおいしい。11:15市立武器博物館を訪れる。写真を撮影できないのが残念。昔は秘密の武器庫であったようだ。英語のガイドを準備してくれていた。大砲、銃、ピストル、鎧、鎗、刀、ほかたいへん多くの武器が収納されている。
12:30博物館を後に、レストランへ。武器が飾られたレストランで、日替わりのメニューがあったので、子羊の肉をボイルしたものを食べた。ちょっとしょっぱい。
食後は、丘の上の時計台へ向かう。時計台は残念ながら改装工事中で幕が張られていた。歩いて登るか?エレベーターで上るか?ケーブルカーで登るか?選択を求められたが、OGWの「歩きます」の一言で決定。
エレベーターの入り口から中をのぞく。第二次大戦の際には防空壕として使われたらしい。険しい坂を歩いて登るが・・・、選択間違っているぞ<OGW。
景色はよいが少々疲れた。見える町並みはほとんどが赤い瓦屋根で統一されている。
16:26列車でウィーンへ向け出発。MもRも疲れたようで眠った。TAKはどこでも眠れるようでうらやましい限り。OGWも寝息が聞こえるほど熟睡。KNKは明るいと眠れないらしく、一睡もしない。SGTも眠らず、メールに中毒気味では? 私も目を閉じるが眠れない。目だけがショボショボする。
19:05ウィーンスードバーンホフに到着。Bとブリギッテさんが迎えに来てくれた。
Rが明日のブダペスト行きチケットを調達してくれた。3人分往復で約160ユーロ。明日女子はRの車でブダペストへ向かう予定。夕食の相談。この近辺には良いレストランがないらしい。ハンバーガーでもいいんだけれど・・。ウィーンmitteへ向かうことに。Rは車なので帰った。
予定のレストランが混んでいたので、違う店へ。インド料理の店へ行った。私はビーフオニオンカレーを注文。またもや、しょっぱすぎる。OGWのスープもしょっぱすぎるようで、ギブアップしていた。体に悪そうなくらいしょっぱい。のどが渇く。5人で40ユーロ。学生はスープやサラダなどで、あまり食べなかったようだ。
B、BK、O、K達とは分かれ、我々は近くの地下鉄へ。Mらはフォルクスシアターで降りる。私は2,3先のツィグラーガッセまで。地上に上がったら、ホテルの通りがよくわからなくなった。まだまだ、土地勘ができていない。シャワーは明日にして、就寝。
 
 
2月13日(金曜)
ぐっすり寝たが、またもや、1:30に目が覚めた。一服して日記を書くことにした。
今日は、8時に食事をして、9:00、Mたちがホテルに来てくれる。その後、ウエストバーンホフから出発予定。ブダペストへはS、Tと私だけ。「降りる駅を間違えないように」とRから念を押されている。「Kelenfo"ld駅」でパル氏に拾ってもらう予定。R達もそこに先に到着するであろう。
朝食を済ませ、9:00にペンション前で待つ。Mらがなかなか来ないと思ったら、間違ってペンションANNAへいったようだ。10分遅れで合流するも、時間は十分ある。歩いてWBHへ。
とりあえず列車の席を確保。マーチンさんと別れる。S、Tが飲み物を買いに行きたいと、行ったままなかなか帰ってこない。どの列車か判らなくなったよう。おかげで、私は慌てて買い物に行く羽目に。
列車の中から武大OBでもあるABE氏に電話。KKSK-Uが来ているらしい。忙しいらしい。今回は会えないかも。
12:33、Kelenfo"ld駅に到着。パル氏、R、K、Oと合流。トマッシュ氏も来てくれた。荷物をパル氏の車に詰め込み、パル氏の住む近隣の町へ(名前忘れた)。到着すると奥さんがパスタを作って待っていてくれた。このパスタは和風でたいへんおいしかった。
ここでは伝統弓術の愛好者達が集まって、プレゼンと親善試合を行う。パル氏は欧州のグループの決起集会として位置づけているのだろうか。韓国で行っているWTAFようなものを欧州でも行いたいらしい。
ポーランドの人と話しをする。7人で車で30時間以上かけてやってきたそうだ(日本より遠いかも)。トルコの人達とフランスの人達も到着。パル氏に和弓3張を渡す。交換の予定だったが、パル氏は購入を希望らしい。2張は代金をいただき、竹弓1張はプレゼントした。ハンガリーの1張の弓をいただいたが、ハンガリー弓ではなくトルコ弓に近い物らしい(ロベル談)。
ロベルト氏とホフ氏も到着した。
夕方から各国のプレゼンテーションなどが行われた。
トルコ1番目、日本2番目、ポーランド3番目・・・。日本の番には、ハンガリー在住のKNDさんに通訳をしていただいた。まずはKNDさんが日本の歌を披露してくださった。我々が歌わなくて済んだので正直、助かった。
日本の弓矢の説明と、SGT実演を交え、射法についての説明、並びに現代弓道の現状を紹介した。
夕食はハンガリーの田舎の伝統料理とワインを立食でいただいた。
我々は明日の事もあり、早めに会場を後にした。最後までいなくて申し訳ないが、我々にはハードスケジュールだ。明日も来てほしいらしかったが、申し訳ないがおことわりした。セミナーと重なり、忙しいに違いない。
女子はロベルトに、我々はホフ氏とともにハンガリー伝統弓術のチャンピオンにアチラハウスまで送ってもらった。
ホフ氏に皆からのお土産(下駄)をプレゼント。
 
 
 
2月14日(土曜)
8:00朝食。ホフ氏と私でせっせと準備。学生はどうした?状況把握はまだできていないようだ。1日で気づくであろうから、何も言わずにいよう。
9:30アチラ氏が迎えに来てくれた。
10:00、武弓会主催、ブダペストセミナー1日目開始。
集合、挨拶。武弓会へのプレゼントをロベルト氏に渡す。ホフ先生矢渡し。射込み稽古・初心者指導、2人づつ射術チェックとアドバイス。アンブルシュ氏が通訳をしてくれてたいへん助かった。今回は全くの初心者は1名のみ。初心者指導をホフ先生にお願いした。
昼食は、道場でサンドイッチなど。午後も射込みながら射術チェック。かなり矢数もかかった。手の皮が剥けるほどに熱心に稽古された方もいる。
17:30稽古終了。アチラとマリアが車でブダペスト市内を案内してくれた。丘から夜景を見物。その他は寒いので車の中から名所を見物。写真は英雄広場。
 
アチラハウスに戻り、自家製パリンカ(70度)、食事。私は知っていたのでやめておいたが、例の十字マークの薬草酒もあり、学生は挑戦した。酒の飲めないSGTは早々にダウン。日本から持ってきた焼酎セットを出す。KNKは眠そう。私も眠い。TAKは頑張っているが・・、OGWは元気! HRAさんも元気。 ロベルト氏は疲れた様子で帰りたそうだったので、「OGW・KNKはもう帰れ」と帰宅を促す。場の状況を把握しないとね。
同時に、みんな帰ることとなった。しかし、食べ残し、洗い物がのこっているんだけれど・・。誰も気づかず、全員が帰ってしまった。どうするこれ! 残された洗い物は、TAKがすべてやってくれた。私は布巾で皿を拭いて食器棚に片付ける。この場で片付けておかないと、明日まで残すとマリアさんの仕事になってしまうかもしれない。TAK状況把握ができるようになったね。しかし、あれだけの人がいて、誰も気づかずみんなほったらかして帰ってしまうとは・・。冷水に指を攣りながら洗い物をしてくれたTAK、ご苦労様。ちなみに、次の日の朝も、TAKとSGTで洗い物はきれいに片付けられたことは言うまでもない。
 
 
2月15日(日曜)
8:00、4人で自炊、朝食。9:30前アチラ氏が来て贅沢に各種お茶を使った特製ミルクティーをいれてくれる。SGTはたいへん気に入ったようだ。私はどうも、今ひとつ・・。アチラに皆からプレゼント。日本酒もプレゼント。マリアにNTKからプレゼント。
10:00、ブダペストセミナ2日目、集合、挨拶。マーチン氏もウィーンから駆けつけた。日帰りらしい。列車では爆睡らしい。マーチン氏のヘアスタイルがそれを証明している。
夏に審査を受けたい人が4名いて、その指導の前に、学生と私で審査形式の模範演武。その後、大前の的を用いて審査体配練習。その他の人は2的以降で射込み稽古。昨日とは違う初心者1名が巻藁稽古。
昼食はまたサンドイッチなど。あまり時間ははっきり決まっていない。なんとなく午後の練習がスタートする。
午後も射込み稽古。多くの人(経験の長い人をのぞく)は2日間でかなり上達している。熱心な稽古への取り組みが見られる。また、通常は矢数が足りていないのだろう。
ホフ先生は早く帰らなければならないので早めに記念撮影し、その後また稽古を継続した。集合・挨拶し、セミナー終了。私にも学生にもプレゼントをいただいた。
ブダペストには武弓会と、他にヨゼフ氏のグループが存在する。ふだんは交流がないと思われるが、私たちが訪れる際のセミナーにはヨゼフグループからも参加がある。丸坊主のロベルトと21歳?の女性は昨年の方が具合が良かった。矢数がかかっていないかな? ヨゼフ氏もあまり具合は良さそうでなかったが、2日目は良くなった。「次回は私たちの道場を訪れてください」と言ってくれたが、来年は来られそうにない。
 
着替えて、道具も片付けて、帰ろうとすると・・・、やはり、予想通り・・パリンカ!! 本日のは市販の40度くらいか? さらりと飲めるが、胸が熱い。駆けつけ3杯はやめなさい<OGW
アチラハウスに戻り、少し休憩。
昨年と同じく、VISTA CAFEへ。牛肉にフライドタマネギ・フライドポテトが添えられたものを注文した。学生達も各自注文したが、1人で4皿注文する強者も・・・。ロベルトはかなり驚いたぞ。赤ワインとビールをいただき、おいしい料理で今年もブダペストの楽しい夕食のひとときを過ごした。
アチラハウスに戻り、就寝。
明日は、女子は例の市場で買い物の後、午後、ロベルト氏の車で直接紅葉会道場に向かう予定。
男子と私は、11:25の列車でウィーン(WBH駅)へ向かう予定。
 
2月16日(月曜)
8:00、朝食。10:00、アチラが来てくれた。例によって特製ミルクティー(正確には豆乳ティー)をいただく。
アチラからお土産をいただいた。私はワインその他。学生はパリンカその他。お世話になったのはこちらなのに。
アチラの車で駅に到着。昼食が食べられないかも・・と思い、食料調達。しかし、例の油っぽいパンしかない。仕方ない。
ウィーンへ向かう列車の食堂車をのぞく。TAKを誘って、メランジェとポテトチップスで、「世界の車窓から」気分。ロベルト氏から電話を受ける。ちゃんと列車に乗ったかどうか、心配してくれた。
WBH駅で、マーチン氏と合流。私はペンションANNAへ向かい、男子2名はマーチン氏宅へ。少々休憩。
16:00、ANNAで待ち合わせ、地下鉄Zieglegasse駅からU3に乗り、West-B-Hで乗り換え最終駅まで行き、バスで紅葉会道場へ向かう。バス停の名、いつも覚えられない。
本日は17:00〜19:00まで稽古の後、19:00〜20:00はホッケーチームが体育館を使用する。片付けなければ。また20:00〜21:30まで使用できるがこの時間帯は清心弓道会の予約となっているので、清心弓道会と合同で稽古。ちょっと複雑な状況だが・・。
集合挨拶し、昨年の学生の近況を報告。紅葉会へのお土産をマーチン氏に渡す。射込みで稽古しながら、2名づつチェック。フロリアンとミヒャエルが交代で通訳してくれた。フロリアンも日本語上達したが、それ以上にミヒャエルの上達度はすばらしい。ミヒャエルは最初、フロリアンから日本語を教わったのだが、正直、今はミヒャエルの日本語語学力の方がかなり上だ。
ホッケーの練習で中断時間にピザをいただいた。また、休み時間にTAKによる「日本弓道紹介」を行った。
再び準備し、清心弓道会の稽古。といっても本日は最初から合同で稽古を実施しているのだが、いつもはそれぞれの時間帯のみに稽古しているのだろう。またまた、集合・挨拶。ちょっと堅苦しい状況。
清心弓道会の人は、クリスチャンはゆがけを替えて若干苦労しているものの、ずいぶん良くなっている。
稽古終了し、SGTとTAKはフロリアンにアパートに来ないかと誘われているらしい。フロリアンと学生にマーチン氏に確認許可をとるように言った。マーチン氏の了解が得られたが、私の判断をミスったかも・・・。了解すべきではなかったかな・・。今回最大の失敗。
 
 
2月17日(火曜)
昼間は時間があるので、買い物やショッピングに出かけた。10:00にステファンドーム前で待ち合わせ。ANNAから40分くらいかと思い、出かけたが、15分くらいで到着。早すぎた。小雪混じり。年配の人が気さくに話しかけてきた。ユーゴスラビア人と3人で閑つぶしの話。皆と合流し、ステファン寺院内を見学。マーチン氏が色々説明してくれるが、ちょっと難しい。とても通訳はできないぞ。学生達も直接聞いてくれ。KNKとTAKは場の掌握ができたらしく、マーチンの説明に耳を傾けている。SGTとOGWは上の空。気持ちはわからんでもないが・・。日本人は(私だけかも知れないが)、体で感じ、目で見て感じ、余計な説明はあまり望まない。言葉なしに見て感じたいところだが、マーチン氏は熱心に説明してくれる。ありがたいのだけれど歴史も含め、難しい内容で、頭の中が横文字の雑念で一杯になった。
「塔に登りたいか?」と聞かれ、学生に尋ねると「登りたい」という。また、誤った選択かと思ったが・・。300段以上の階段はかなりきつく、KNKなどは、途中の展示室?のようなところまでで、「もう無理です」と断念したものの、他の皆は上まで登り、結果的にはすばらしい景色を目と体で感じた。日本人らしい観光だった。KNKは残念だが、ふだん不足の良い運動になっただろう。
下で待っていてくれたマーチン氏と合流し、ペスト撲滅記念塔を過ぎ、高級店をのぞきながら、カフェーへ。学生はメランジェまたはイングリッシュティーとザッハートルテなどのデザートなどを注文。
ホーフブルグを通り、フォルクスセアターから、13:00ラットハウスへ。
ここで学生達はアイススケートを行う。自力でチケットを買い、自力でスケートシューズを借り、スケートを行うことにしよう。マーチンさんにも手伝わないように言っておいた。私は事前にマーチンから聞いたシステムと料金について学生に伝え、あとは手伝わなかった。
早速TAKが迷わずチケット売り場へ行った。えらい!英語の能力はあるのに、授業の方、何とかしてほしいものだ<TAK。その間、マーチン氏と私は昼食予定のラットハウスの地下レストランを訪れ予約と下見をした。リンクの方へ戻ってみると。20分くらいしてようやく学生達はスケートリンクへ。4人いれば何とかなる、自力で滑り始めた。大したもんだ。KNKは初めてのスケート。何度も転びながらも、ウィーン市庁舎前での人生初のスケートを楽しんだようだ。
 
 
その間、マーチン氏は時間を考え、TAKとSGTの弓具を取りに帰った。あまり時間の余裕がなさそうなので、食事後すぐに道場へ向かった方が良いだろうとの判断だ。
 
マーチン氏が戻ってきて、14:10レストランへ。ちょっと高級そうなレストランだ。たいへん雰囲気がよい。飲み物を注文。SGTの注文したコーラ、店員の置き場所が悪く、瓶が転倒した。女性店員本人は自分が倒したと思っていない? 料理もおいしかったが、チップはあまりはずまなかった。「おつりはいらない」ではなく、おつりは「5ユーロ返して」と言った。マーチンさんは、皆からの感謝を込めて御招待した。
レストランを出て、ウィーン大学方面へ歩き左折、停留所は覚えていないがトラムに乗り、何駅だか?地下鉄に乗り換え、道場に向かう。もう少し、駅名など覚えておかなくてはね。
17:00稽古の準備をして、稽古開始。今日も射込みながらチェック。何年も引いている人達はなかなか急には良くならないが、マーチン氏も角見の方向について何かつかんだようだ。ロベルトもブダペストより少し良い感じがつかめたようだ。ヨドックの馬手はも昨年より更に良くなっているが、まだ自然ではない。
「ウィーンナウ」?だったかどうか、何だかそんな感じではあったが・・、紅葉会が取材を受けた。私もカメラマンに写真を撮ってもらった。使われるかどうかはわからないが・・・。
巻藁の寡黙な若者(18歳?)は近距離も引き始めた。まったく問題ないので、28mもOKだろう。マーチンの許可を得て28mを引かせる。中りはしなかったが、2、3本引いたらだいたいの高さは覚えたようだ。力みもない。このまま力まず稽古できれば良くなるだろう。彼は昨年も巻き藁だったので少々時間がかかっているが、今のところ大きな癖もなく問題ない。詰めて稽古していないのだろう。
もう一人の若者もなかなかうまいが、弓手が下がりすぎる。昨年もそう言った気がするが・・。今年もなかなかよくはならなかったが、こちらも詰めて稽古すれば上達するだろう。矢数が足りていないように見受けられる。
20:30稽古終了し、お土産をいただいた。学生達は後片付けを手伝った。
稽古後、レストランへ向かう。ジーベンブロイと聞いたが、その近くの違うレストランだった。私はロベルトと車で行ったので先に到着。先に飲み物と料理を注文。他の皆も到着し、意図しないまでも学生達とは離れて座ることとなった。私たちの料理は問題なかったが、厨房で問題が発生し、スープは大丈夫だが、他の温かい料理ができなくなったらしい。料理はいつも学生の楽しみに違いないが、残念。何を注文したかしならいが、ちょっと物足りなかったかな? 
帰りは、ロベルトが送ってくれるようだったが、歩いても近くらしいので、歩くことにした。微妙に判断を誤ったか・・。ブランコと女子は違う方向へ。マーチンと男子とも途中で分かれる。??今どこにいるかわからないぞ。ヨドックが一緒に歩いてくれるようなので、ヨドックと一緒に。「トラムに乗りますか」というので、「乗る」といったものの、時刻表ではまだ来そうにない。「次の停留所まで歩きましょう」とのことでそのまま歩く。しかし次の停留所でもまだ来ないので結局歩く。通りが突き当たり、右か左か選択を求められた。わからないぞ・・! 大通り(マリア何とかシュトラーセ)の方だというと、ヨドックは左だと言う。そのまま歩いているとANNAを発見し、一安心。
ヨドックと分かれ、部屋に戻るも、飲み物が欲しくなり、再び出かける。もう0時頃なので、屋台もほとんど閉まっている。ようやく見つけ、2本のペットボトルを調達。飲み物は昼間に調達しておくべきだ。ANNAに戻り、メールチェック。就寝。
 
 
2月18日(水曜)
シャワーを浴び、朝食。メールチェック。9:00、本日もシュテファン寺院で待ち合わせ。SGTとOGWはフロリアンに付き添ってもらって買い物。TAKとKNKと私はあてなく、寒いのでブランコにコーヒーを誘われ、マックへ。暖をとるためにコーヒー(メランジェ)を飲む。ウィーンではコーヒーと注文するとメランジェが出てくる。日本で言うコーヒーを飲みたければ、「アメリカンコーヒー」と注文しなければならないのかな。ブランコにごちそうになった。
SGTとOGWの気に入ったジュエリー店で合流。かなり悩んでいるようだ。気さくな美人イギリス人女性店員と話しがはずむが、まだまだ時間がかかりそうなので、彼らを残し、コーヒーとお茶の専門店へ。コーヒーとエスプレッソ用?のクラッシックタイプの銅製コーヒー沸かし鍋を購入。
ホーフブルクへ向かい、10:00、スペイン乗馬学校の朝練習を見学。サラブレットとは違う種で、古く血統をたどれる何とか種。たいへん上品な馬たち。生まれた時には黒馬らしい。成長とともに白くなる。黒みが残っているのは若い馬だ。体中に白星がちりばめられたような美しい若馬もいた。練習は馬場をくるくる回り、時々ステップを踏む程度であまり変化はないがずっと見ていても飽きなかった。しかし学生達は飽きてきたようで、ブランコが「そろそろ」と促す。馬が後ろ足で立ち上がる練習も期待したが、変化なさそうなので、室内馬場を後にし、お土産ショップへ。馬があしらわれた真鍮製?の上品なコート掛けや、馬油のリップクリームなどを購入。
フロリアンのおすすめのレストランに向かい食事。食事後、ブランコは準備のため道場へ行く。フロリアンが「家へ来ませんか」というので、フロリアンのアパートへ。家の前でやごろ会のメンバー若者3人が待っていた。フロリアンのアパートは3階だったかな。その上の階には両親が住んでいる。両親の部屋からはステファン寺院が見えるとのことで、わざわざ見せてくれた。他に、フロリアンが家に我々を呼びたがっているのには何か意味があるのだろうと思っていたが、特にないようだ。
みんなでゲームをやって過ごした。非生産的な時間。両国の若者達は互いに話しをするわけでもなく、ただゲームでつながっている、不思議な時間。これも現代的な若者の交流なのか。
早めに道場へ向かう。地下鉄利用。駅名を忘れた。やごろ会が練習をしているのは松前武道センターの近く(隣)の室内テニスコートで、16:00頃到着。剣道班が武道センターで稽古をしていれば、表敬訪問しようと思い武道センターを訪れたが、その時間に練習はしていなかった。土曜日まで剣道の稽古は入っていないらしかったので、違う場所で稽古しているのだろうか。
時間があるので、宿泊しているであろうホテルBOSEIを訪れても良かったのだが、やめて、スポーツ施設のレストランで休む。ここでは各自で注文し、各自で支払いをすることにした。私はフリターテンズッペを注文。17:00、支払いしようと思ったら、尾州竹林を修練している、背の高い人(ワルターさん))が支払いをしてくれたようだ。彼は昨年まで無虎弓道会に所属していた。彼にロッカーを案内され、着替えて道場へ(道場として使用するのはテニスコートで、隣はバドミントンコート)。道場のセッティングは終了し、稽古のできる状態になっている。若い人達がけっこういる。欧州の弓道会には珍しい年齢構成の集団だ。
稽古開始。自由な雰囲気で稽古している。日本でいえば、高校生の弓道同好会のようだ。欧州の弓道会の多くは真面目で静かに稽古するが、この弓道会はざわざわ雑談しながら稽古している。このような弓道会は日本では多数あるが、欧州では初めて見た。隣のコートではバドミントンを実施しており、落ち着いた静かな雰囲気は体育館内にないことはたしかだ。弓を引く環境としてはベストではないが、若者達が弓道に興味を持ち、弓を引くことそのものを楽しんでいる。多くの欧州弓道家はヘリゲルの本を読み、間接的に弓道に興味を持ち、弓道会の門をたたいて弓道の世界へ入ってきたケースが多いが、この若者達は恐らくヘリゲルを知らないであろう。ブランコの演武など、弓道を目の当たりにして、直感的に入会したのであろう。高校一年生が先輩の演武と勧誘により、「おもしろそうー」と弓道部に入るような、それに似た状況がこの弓道会にはありそうだ。良くも悪くも、日本文化・精神へのこだわりや哲学的な偏った見方はなさそうだ。自然といえば自然。深く弓道を求めようと入会した人にはあまり問題ないのであろうが、何となく弓道に入会した人達(これから欧州でも少しずつ増えるだろう)に対して弓道がどこまで教育力を発揮できるのかがこれから問われるであろう。やごろ弓道会の動向が注目される。
休憩を挟んで(というか、大半は休憩せずに稽古を継続していた)、TAKによるプレゼンテーション(武大弓道部の紹介と大学弓道、日本の弓道試合写真、過去の海外研修写真など)を行った。学生による企画は初めてであるが、今後も可能な限り、学生の企画をいれたい。
8:30、稽古を終えた。Tシャツなどをいただいた。女子学生?らしき会員らから、Tシャツやノートにサインを求められ、記念にみんなでサインをした。もう一日あれば、学生達も同世代の会員達とうち解けることができたかもしれない。何せ、今年度の学生達は積極的な交流をしようとしない。日本語のできるフロリアンやミヒャエルとしゃべるばかりで、あまり英語を使っている様子がない。恐らく、やごろ会員全員と目を合わせたのは私だけであろう。少々残念。もう少し積極的な交流を全行程を通してしてほしかったところだ。
更衣を済ませ、2階のレストランへ。学生達とは意図的に離れて座った。ロベルトと雑談。右隣には青い目がきれいなANJA(18歳)と、15歳のJOSEPH。2人とも始めたばかりで、まだ巻藁を引いている。アンジャは見た目よりちょっとシャイ。ジョセフはまだ声変わりしていない? 女の子みたいな声だ。女じゃないよなぁ。男だけれどかわいいきれいな顔をしている。アンジャは家族で日本へ来たことがあるらしい。時差ぼけと和式トイレにとまどった話しで盛り上がった。異文化に触れると色々と衝撃的な体験があるものだ。みんなに竹弓片をプレゼント。竹弓片は意外に話の種になり、ちょっとしたお土産にはよかった。
ロベルトが私と男子学生2名を車で送ってくれた。部屋に戻ってだいたいの荷造りを済ませて就寝。
 
2月19日(木曜)
シャワー、朝食をすませた。今日は昼食までに時間があり、腹が減るかと思い、十分な朝食をとった。食後にペンションの支払いを済ませ、メールチェック。11:15にロベルト氏が迎えに来てくれる予定で、時間があるので、スーパーに買い物に出かけた。チョコレートやらガムやらハリボーやら、どっさり菓子類などを調達。
例によって、ロベルト氏は11:30頃に到着。15分間雪降る中で待った。空港までは30分程度。空港に着くと、すぐに全員集合したので、チェックイン手続き。弓の長さはまったく問題にならなかった。バッゲージの重量も私は25kgくらい、学生達も20kgを微妙にオーバー、しかし、問題にされなかった。
和弓とハンガリー弓、矢筒を別の所に預けに行った。ロベルト氏が簡易な梱包を頼んだが、8ユーロと言われた。ラッピングなどの厳重な梱包らしいが、「上下をテープで巻くだけでよい」というと、渋っていたが、他の係員がテープを持ってきて、上下と中央2箇所、合計4箇所も無料で厳重に、これでもかというくらいにテープを巻いてくれた。ダンケシェーン。
お世話になった、マーチン氏、ロベルト氏、ブランコ氏に別れの挨拶をし、免税店へ向かう。ワインやチョコレートを調達。出国審査を通り、学生達の免税品手続き。スタンプを押してもらって返金の窓口に並ぶも、時間がかかりそうなので、私とTAKはトイレにゆき、先に搭乗口へ。なかなか学生達は搭乗口へ来ない。ようやく来たと思ったら、何と、あきらめたらしい。かなりの人が並んでいて、同じ飛行機と思われる人達も次々あきらめていたという。そんなことだろうと思った。私も過去のケースではすんなりいった覚えはあまりない。「帰国後に申請する方法もあるよ。英語を読みなさい。」と言ったが、面倒で手続きしないだろうな。私もそうだった(笑)。
13:55出発。映画を見たり、ふだんはしないゲームをやって過ごす。
 
2月20日(金曜)
予定より少し早めに成田に到着。武大バスで帰路に。バス内で費用等精算。学生が残したユーロは私が両替した。
2008年度海外研修(弓道班)無事終了。
残念ながら、2009年度は実施できそうにないが、2010年度に向けて、研修の在り方を点検しなければ・・。
 
 
 
 
 
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さて、2008年度海外研修(弓道班)はどうだっただろうか。学生達は学ぶものがあっただろうか。きっと何か感じ、気付き、学んでくれたことと思う。
 
 
2月25日(水曜)
レポート提出期限。
提出者には映像入りCD-Rを渡す。
 
 
 
※最後に、
お世話になった方々へ心から感謝いたします。
「海外研修(弓道班)」無事に全行程を終了できましたことを御報告し、心よりお礼を申し上げます。
 
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2008年度旅後の手記:
 
・全員がホームステイできたことはよい体験となったであろう。しかし、学生達の交流は、十分ではなかった。もっと積極性が欲しかった。
・今回の研修生は、これまでの研修生と比べると、英語をほとんど使っていないような気がする。日本語のできる人が現地にいると助かるのは事実だが、果たして学生のためになるのか?
・食事の注文は各自で行ったが、会計は私がすべて行ってしまった。今後はつとめて個人支払いにした方が良いかもしれない。
・レポートの書いてもらった「感じたこと」を大切にしてほしい。
・ロベルト氏は、秋に日本を訪れるかもしれない。再会を楽しみにして、今度は私たちがもてなそう。
            写真:アチラ氏にいただいたワイン。ウィーンに戻って一人で飲んでしまいました。
 
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