2012欧州弓道旅日記
 
 
 

 
2011年度「海外研修(弓道班)」引率  2012年2月10(金)〜21日(火)
 
 
 
1月15日(日)
研修中にインターネット接続ができるように海外用モバイルデータ通信レンタルサービス「グローバルデータ」に手続きをした。補償料を含めると、合計金額 : 16,935 円になった。安くはないなあ。
 
 
1月22日(水)
数矢・腰矢の演武依頼と、指導の依頼もあるので、用具等準備しなくては。進んでいない。
次回の事前指導は何時にしよう。今回はいまだ予定が明確でないので・・・ 最終打ち合わせははやり前日(9日)にしたほうがよだろうな。学生達の準備は進んでいるのだろうか。今年度は3年ぶりの実施。7人も参加するのだが、いつもと違うところは、学生からの質問がほとんどないこと。大丈夫か? 演武についても何も質問してこないぞ。
 
 
2月9日(木)
出発前日、最後の事前指導。最新の(といってもあまりかわっていないが)予定表を配布。本年は未確定、または曖昧な点が多い。現地での調整・変更は必至だ。
学生達には3人組と4人組の斑分けをし、いずれも1つ的射礼ができるように希望した。その場で各班の体配等を確認した。しかしながら、どこでどのように演武するかは、「現地で決める」「演武の詳細は、会場に着いてから決める」と伝えたが、その意味はおそらくこの時点では学生には理解できないであろう。まあいい、現地で理解するであろう。
武大生の中にもインフルエンザ等が流行っているので、学生の体調を心配したが、大丈夫そうなので一安心した。出発前の体調ばかり気にしていたが、現地で体調不良が多発することは、この時にはまったく気にかけなかった。
 
 
2月10日(金)
剣道班と一緒に大学バスで、6時に国際武道大学を出発。私はOOHファミマから合流。
大学を出る際に連絡をするように学生に依頼していたが、いつまでたっても連絡が来ない。こちらから連絡すると「今出ました」とのこと。どうやらメールで連絡したようだ。しかも私のPC用メールアドレス宛に(ウィーンで読んだ)。 もう少し、いろいろなケースを想定して配慮をしてくれるとありがたいのだが。
約2時間で成田に到着。同じ頃、INO氏も到着したようで電話があり合流。海外用モバイルデータ通信レンタルサービス「グローバルデータ」機器を受け取り手続き。
チャックイン手続きを行うが、弓と矢筒に超過料金が課せられることになった。弓は10張をまとめて縛ったが、長さが約2m25cmと判断され、400ドルを請求される。「手続きサービス手数料」だったか、加えて何とか手数料が10ユーロかかる。覚悟はしていたが、他の航空会社と比べてかなり高いのでは? 「大型のスポーツ用品」という範疇にあたるらしい。しかしそれは、サーフボードやカヤックなどを想定しており、それらと同じ範疇に入れられるのはかなわない。長さの規定通りに判断すればそうなのかも知れないが、重さは7kgくらいしかないはず。今回は10張であるが、たとえ1張り(700g)でも400ドル取るのか? 規定通り摘要するならばそうだろう。頭が硬すぎるのでは? お客の立場に立っているとは到底思えない。オーストリア航空!はやく規定を修正してくれ!!
しかし、もっとびっくりしたのは、覚悟をしていなかった矢筒にもかかるという。料金は100ドルと言われた。また、何とかが10ユーロ。ミズノ製のゴルフバックに似たタイプの大きめな矢筒である。確かに存在感があるので、この矢筒も対象だと言われたら、「たしかに・・」と思ってしまった自分がいた。しかし、驚いたのは、小型の矢筒2本をテープで束ねた矢筒、こちらも超過料金がかかると言われたら、目が点になった。同じく100ドル。矢筒合わせて、200ドルを請求する勢いである。必死に対策を考える。・・・・・「大きい矢筒と一緒に梱包し直します!」と言ってしまった。「入りますか?」・・・まあ入る訳はない。外側にテープで巻き付ければ1つになるだろう。。。  うーむ、無理があるっぽい。言った手前、何とかしなくては・・ 瞬間的にいろいろなことが頭の中を巡る・・・。 
結論:小型矢筒2本の中のすべての矢を、ミズノ大型矢筒へ無理にでも入れる。そして、矢筒は破棄! 100ドルあれば小型矢筒は2本以上買えてしまう。たいへん、もったいないが、こうなったら「意地!」だ。「破棄して!!」と捨てゼリフを口元まで用意したが・・・、オーストリア航空に先手をとられた。「こちらには超過料金は発生しません」・・・「えーぇっ! 無料?なの。なんで?」「こちらは一般のお預かり手荷物」になります。「???」どういう意味? 矢筒の大きさが問題だった訳ではないのね。スポーツ用品だったから? つまり、中身の矢がなくなったことで、スポーツ用品ではなくなったのだ。矢筒はただの「筒」になったわけだ。捨てなくてすんだ。空の矢筒2本を預けて持ってゆくことになった。意味わからん!! まあ、儲かってもいないのに、もうかった気分にされた。先方が上手かもしれない・・。
そんなわけでかなり話のネタを作ってくれます、オーストリア航空。
2点超過、結局、憤慨しながらも日本円換算で支払い手続きに向かう。すると、支払い窓口のお姉さんに、何とか手数料が、「1点分しかかからない可能性がありますので、確認いたしますのでお待ちください」と・・・・、結果、微妙に安くなる。またもや得していないのに得した気分に(2回目)。
4万円を支払った。
 
両替(SNKに任せる)にいき、セキュリティーチェックへ。かつて経験のないほどかなり混んでいる。
IKDのバックから、カッターだのハサミだの・・いろいろ出てくる(笑)。
出国審査後、免税店へ。土産にするお酒を3点購入。
36番ゲート前で休み、学生たちへ各300ユーロを返金。小遣いだ。
呼び出し:「オーストリア航空でウィーンへご出発のマツオ・・・・・」「えーっ!オレ?」
行ってみると、「先ほど・・・・・・」
つまり、超過料金の金額計算が過っていたので、修正するとのこと。もらったレシートを正しいもののレシートと交換し、サインをすることだった。微妙に、やばい?と期待が交錯・・・・。
結果、笑いそうになるだけ安くなった。「40000円→39900円」
得した気分(3回目)までにはならなかったが、恩着せがましいぞ。なかなか、やるな、オーストリア航空。
 
離陸ーっ・・・
(中略)
着陸ーっ。
 
剣道班とはここで別れる。
ロベルトとブランコが迎えにきてくれて、2台のタクシーでホテルへ向かった。ウィーンはかなり寒い。
宿泊ホテルは、Do Step Inn
ちょー寒いんだけれど、このホテル。おれの部屋だけか?
恥ずかしながら、上着4枚と靴下を履いて寝た。
今年は極めて寒いとはいえ、この部屋の暖房はありえん!
 
 
2月11日(土)
2時頃目が覚める。
シャワー。
8:00、朝食
8:15、ブランコ来る。
8:40、ホテル発。
切符を購入し、ウエストバーンホフから地下鉄。乗車券の検札を初めて受ける。
オペラ座を外から見て、ナッシュマルクトへ向かう。
たくさんの珍しいものに、学生達は興味津々。ウサギの肉もある。
寒い!
寒くて休憩。カフェにコーヒーを飲みに行く。私はメランジェ。
フリーマーケットもやっていた。今日は土曜だからか。
地下鉄で、ウエストバーンホフへ戻り、学生たちはケバッブ、私はトルコの焼きそばみないなものを食べた。量多い、満腹。
ホテルへ戻り準備。
ロベルト氏とアンドレアさん、12:00ホテルへ来る。ロベルトは車で荷物を運んでくれる。
12:15、やごろ弓道会の道場(体育館だが)へ向かう。松前武道センターの向かいにある。剣道班はここの望星ホテルへ泊まっている。
13:30、セミナー開始。挨拶。メールで打ち合わせをしていたのでフロリアンが通訳してくれた。打ち合わせしていたので、挨拶を書いた紙を読むことになってしまったが。フロリアンはiPodを読み上げていたようだ(笑)。
IBUから、やごろ弓道会へTシャツなどをプレゼント。弓道2プロジェクトから、「女性用袴・胴着・伊達締め、ゆがけ・胸当て」を贈呈。
はじめに学生3名による「1つ的」礼射を演武。
学生は巻藁の人と初級者を指導。私はその他を中心に指導を行った。
INO氏は依頼の弓具とその説明を行った。
途中、数矢・腰矢を私が演武。
19:00、セミナー終了。プレゼントを私も学生たちもいただいた。
セミナー修了後、上のレストランで食事。私はブルストとまたフリターテンズッペ。
隣にはアンドレア。アンドレアは今、教師をしている。日本への留学を何年か前から検討しているが、留学したい意志はかわらないようだ。
楽しい時を過ごし、帰りは車に分乗し、ホテルまで送ってもらった。私たちはリサさん(弓歴6ヶ月)に送ってもらった。
 
 
2月12日(日)
また3時前に目が覚める。
ホウットニーヒューストンさんが亡くなったとCNNが報道している。
目がさめたので、日記を書く。
もう一寝入りしてからシャワーを浴びる。
8:00、朝食。この朝食はあきる。全日朝食予約をしなければよかった。ほかの宿泊客は予約していないようだ。外に出るのは寒いから・・と思ったが、微妙に失敗。
本日、SNKダウン。
8:45、紅葉会のヨーグさんが迎えにきてくれた。昨日もセミナーにいた人だ。弓歴2年、練習回数が少ないので「弓歴2ヶ月」と謙遜していたが、年配にもかかわらず覚えが早いようで、良い射形でなかなか良い離れだ。
地下鉄とバスを乗り継いで紅葉会の練習場所へ。昨日買った24時間チケットがぎりぎり使えた。
10時過ぎからセミナー開始。紅葉会にお土産を渡した。
学生4人による「1つ的」。話の種は、ちょっと控えておこう。
12射引いては休憩。
弓歴3年以下の人たちには各人にアドバイス。言いたいことが的確に言えないのは大変つらいが・・。上級者には、その場で各人にアドバイス。
練習中、詰め合いで、上弦が突然切れた。こんなこともあるのか・・。弦で頬を打ち、左手にも痕が残っている。
体調も弓の具合も良くないし、英語・ドイツ語が頭の中で煮え立ち、例によって腰も痛いし、セミナーはかなりしんどい。学生たちの何人かも腰が痛いようだ。
INO氏が弓の取り扱いと張り方を実演。私もお手伝い。そして、5射6科についてもお話をしたが、難しい話に通訳がいないのは無理がある。
ヤヌシ(Janusz Surma)さんはポーランドから参加してくれた弓歴6年(週1回練習)の人。日本にも何度か滞在しているようだ。fbで知り合いになり、「欧州に来ることがあれば知らせて欲しい」とのメッセージをもらい、「2月にオーストリアとハンガリーを訪問する」と返信したら、早速セミナー参加を検討し、遠くから来てくれた。今回のセミナーには、夜の9時にポーランドを出て次の日の朝7時にウィーンに着いたという。夜行列車? 私の関係した本2冊を持ってきており、本にサインを求められ、恥ずかしながらサイン。熱心な人で、弓も大変上手だ。本日、夕食のレストランへも一緒、明日は観光にも同行してくれるようだ。ポーランドでは30〜35人は弓道を行っているらしい。おそらくポーランドでは指導的立場なのだろう。
セミナーで、「蔵吉」という弓を見た。安いらしいが、安いならば実技用に最適だ。期待したが、その後の調べで、最安値ではないようだ。塗装は荒いが、軽いし、よい弓だと思う。
 
5:15、セミナー終了。
 
いったんホテルへ戻った。SNKは少し熱が下がったようだが、まだしんどそう。SNKももちろん心配なのだが、ダブルベッドの部屋なので、次はMDRも心配だ。追加料金を払って、部屋をもう1部屋確保し、MDRを分離することに。
米が食べたいと言うので、中華レストランへ行く。メニューに写真と日本語があるのはありがたい。私は焼鴨を注文。おいしいが骨っぽい。私は元気だが、学生たちはぐったりしている。SNKはおかゆみたいなものと、しょうが湯を飲んで、少し元気になった。しかし、このレストラン、学生のレポートによると、あまり評判がよくなかった。
ホテルの部屋に帰って、日記を読み返してみると、内容がとりとめがない。大脳はあまり働いていないようだ(笑)。
ホテルの部屋は少しはましになったが、相変わらす寒い。本日もセーター着て寝る。異常だ。
そういえば、ベンチコートのポケットがちぎれた。セーターの首周りに穴あいた。ベンチコートは処分して帰ろうと思っていたのでいいのだが、このカシミヤのセーターは暖かくお気に入りなのにショックだ。これもまた、とりとめのない話。
 
明日の観光は、武器博物館を見学予定(私は前にも行ったはず)。
 
 
2月13日(月)
また、3時に目が覚めた。
やばいぞ、時差ぼけがなおらない。本日、やごろ弓道会・清心弓道会の合同練習はあるが、ウィーンのセミナー終わったし、なるようになれ!
洋なしをかじる。堅い。
寒いし、もう一寝入りしようとベッドで横になる。「眠れない」と思っていたが、寝ていたらしい。7:30のアラームで起きた。眠りは浅いが少しは寝ているようだ。
8:00、食事
10:00まで、自由。
10:00前にブランコが来る。ヤヌシさんも。
10:00、出発。駅近辺でクロアチア人5人とも合流。路面電車で武器博物館に向かう。私は2回目だ。トルコの古い弓と矢が展示してある。もっと弓矢関係があったような気がしていたが、弓関係はあまり展示数は多くない。今後の研修では違う場所の方がよいだろう。
博物館の近くのレストランで昼食。オーストリアの伝統的なレストランの雰囲気。学生はみんなシュニッツエルを注文。TKHはスープのようだ。私はターキーとサラダ料理。昨日も似たようなものを食べたのに。食事を済ませ、ホテルへ戻る。
今度はSZKがダウン。熱があるようだで、今日は無理っぽい。
やごろ道場へ向かう。16:00過ぎから稽古。やごろとSEISINの合同練習。質問も受けたので、せっかくだから練習開始にあたり、学生の指導により、弓道に必要なストレッチ運動を覚えてもらった。
12射射込みごとに休憩をはさみ、繰り返す。学生は初級者を、私は全体的に見て回った。
クロアチアメンバー5人は都合により先に帰る。TKHは真理矢のメアドをゲットした模様。
20:00に終了し、上のレストランで食事。タイ風鳥串を注文(またもや鳥系)し、白ビールと赤ワインを飲んだ。学生たちは各自で支払い。女子2名はロベルトの車で帰る。男子は路面電車。帰ったら12時頃だった。
SZKはまだ熱がある。
 
 
2月14日(火)
TKHの誕生日。おめでとー。
8:00、朝食。
SZKはまだ熱がある。
薬調達しなければ。
10:00まで自由。はしゃいだSNKが再ダウン。
INO氏は9:30にロベルトと出かける。
せっかくの観光に学生2名は参加できない。
10:00、ブランコ、スザンネがきてくれた。HRMリクエストのステファン寺院へ向かう。途中、レオポルト氏からブランコにメールがあり、レオポルト博物館の見学を勧めてくれたようだ。しかし、今日の予定は計画済みなので、丁重にお断りしていただいた。次回、機会があればまたお願いしたい。寺院を見学中、靴音の激しい集団が来る。本学剣道班と遭遇。日本人!足音をたてて歩くな!
スワロフスキーで目の保養のつもりが、買い物。
ショーンブルン宮殿へ向かう。植物園を過ぎ、今年もリスと遊ぶ。今年の池の氷はすべて凍っていて分厚そうだ。やはり今までで一番寒い。
グロリエッテまで上り、カフェラッテを飲む。各自でケーキを注文するが、TKHには特別に丸いザッハトルテにロウソクも準備してくれて、誕生日を祝った。何やらこそこそ相談していると思ったが、途中でスザンネか誰かがケーキを買いに行ってくれたようだ。本当に気の利く人達だ。こんな素敵な場所で祝ってもらって、最高だったね>TKH。
 
グロリエッテを後に、スザンネと学生はソリをしながら丘を下る。トラムでウエストバーンホフへ戻り、スーパーマーケットで買い物。スーパーマーケットではいろいろ面白いものが発見出来て楽しい。お土産にお菓子も調達した。
マクドナルドに寄って、サルサバーガーセットを2セット注文。マクドナルドに行ってみたいと言っていた病人SNKたちのために調達するが、ちょっと病人にはおもすぎたかも。気が利かない日本人たちでごめん>病人
ホテルへ帰るも、SZKもSNKもまだ復帰していない。
症状を聞いて、私とスザンネは薬屋へ出かける。SZKからは強すぎない薬との希望がある。喉も痛いと言っている。SNKは喉は痛くないらしい。薬剤師に相談し、2種類の薬を調達した。これがあとで私の役にも立つことになるとは・・。
学生たちとエミリエはどこか、買い物に出かけた。TKHは靴を買ってきた。
INO氏とブランコは部屋で矢羽の話と欧州弓具店の話をしている。薬屋から帰ってきた私はINO氏の部屋で合流し、ブランコの羽を見せてもらった。小型であるが白鷹のような模様の羽だ。少々弱いが初級者用などに使用できる。1枚3ユーロくらいで調達しているらしい。INO氏は「高い」という。ブランコによれば、水鳥の羽の方は、池で拾えるという。これも矢に使用するには十分だ。洗濯機で洗っているというからびっくり。
19:00、センチメートルというレストランへ向かう。何年か前にも行ったことがある。学生にも人気で、私も大好きなレストランだ。今年の学生も楽しんでくれるだろう。12人で、剣に肉が刺されて出てくる最大盛りを1つ注文した。12人では少々少ないが、楽しいレストランである。次回もここには来たい。
 
学生たちもずいぶん慣れてきた。HRM、TKH、絶好調。今日はバレンタインだ。日本と違い、男性が女性へプレゼントする。HSOは花売りからバラの花調達し、女性たちにプレゼントした。なぜか、ブランコへも。
コミュニケーションの種を見つけることは大切だ。女性陣の名前の発音から漢字なおすことで盛り上がった。メンリー以外は喜んでいる。スザンネ(奏攅音)、大学で学びピアノを奏でているので上出来の漢字だ。エミリエ(笑美利恵)、彼女の笑顔は素敵だ。ニコル(尼娘留)、ちょっと苦しいが、永遠に若い女性だと言ったら喜んでいた。メンリー(綿梨)は気に入らず、改名、学生たちが再度考えていたが、その後どうなったんだったか・・。ウィーンのほんとうに楽しい夜だった。
しかし、2名の学生がこの場にいなかったことがなんとも残念である。海外研修に来て、同じ思い出を共有出来ないのは不幸だ。早くよくなると良いのだが。
ホテルへ戻る。
 
 
2月15日(水)
3時45分に目が覚めた。また少し寝て、5時にシャワーを浴びる。ある程度の荷造りをすませ、日記を書く。
8:00、朝食。SZKは寝たまま。SNKはオレンジジュースとパンを少しかじった。
9:00、ロベルトがきて、可能なまで荷物を積み込み、2名はロベルトと出発し、他は、そのままウエストバーンホフへ向かう予定。
女子2名がロベルトと行く予定にしていたが、体調不良のSZKとSNKをロベルトに任せた。
早めにウエストバーンホフへ行き、電車を待つ。電車は9:54発予定が少々遅れている。心配した席は簡単に確保ができた。
ブダペストKelenfo"ld駅には12:32着予定であったが少々送れて到着。武弓会メンバーらがたくさん出迎えてくれた
ブダペストでは同じ宿泊場所ではなく、バラバラになる。
私とINO氏はアチラハウス。IKDとHSOはブランカさんに連れられ学生寮。ブランカさんは君たちのタメらしい。SNKとMDRはロベルトのおばあちゃんの家。HRMとTKHはガーボルさんの家。SZKは現在、ロベルトのおばあちゃんの家で休んでいるが、タマッシュさんが泊めてくれる予定。
駅で一旦別れ、各、ホームステイ先へ向かう。
14:00〜16:00まで数矢・腰矢の練習予定なので、ステイ先で時間を確認しながら、会場へ集合を指示した。電車の中で、もう少し、明確に指示をしておけばよかった。慌ただしくみんな別れていった。
14:??例により、少し送れて戦場弓の指導を開始。
弦の細工と矢筈の細工について説明した。矢はまたの機会にやってもらうとして、弦だけ露(探り)を作ってもらった。これも間に合わせに、テーピングを巻いてもらって、すぐに開始。
ユガケの違い、姿勢、矢番え、ひねり方、打ち切りなどを説明して実践した。yutubeなどか?事前に知識があるようで、学生の指導よりもかえってスムーズである。ごめん>学生
2時間足らず(90分)の慌ただしさの中で、数矢の基礎、腰矢の基礎と「押し詰め」まで指導できた。大きな声で発声もよくできた。指導できなかった部分は、演武の際の礼法、前弓・後弓の連携、伏せ、前後左右など。またの機会に。短時間でかなり密度の濃い講習で、効果もあったと思う。
アチラハウスに戻り、何となくパーティーが始まった。
ブダペストでの楽しい滞在の始まり。
タマッシュさんについてきてもらい、両替に。1JPN =2.8083HUF。1HUF=0.35608JPN。133,000円をフォリントにかえた。
しかし、ロベルトからの情報では、学生SZKの体調はかなり悪いようだ。ロベルトとアチラがいろいろ連絡し手配してくれている。本学卒業生で、ブダペストに住んでいる剣道のABE君からもアチラ経由で電話をもらった。アチラは病院での通訳も確保してくれた。通訳のMTZK/ERNさんが保険の種類確認と指定病院があるか確認してほしいとのことで、AIUに電話。コレクトコールの仕方がわからなかったので、直接電話した。YAMAJI氏対応。別の部署が対応するとのことで、電話を待った。SIMADA氏対応。結果、指定病院はなく、病院へ同行してくれるMTZK/ERNさんと直接話をしてもらうことにした。
SZKは、急遽本日19:15より診察することになった。診察後、SZKはここに来る手はずになっている。
診察を終えたSZK到着。思ったよりは元気だ。医者からは「3日間安静にせよ」とのことらしい。病院にもかかり、一安心だが、3日経つと最終日に突入する。病院への支払いはAIUから直接のようなので、面倒な手間は発生しなかった。いろいろな人に迷惑をかけたが、段取りよくやっていただいた。アチラは電話しっぱなしだった(ありがとうアチラ)。
私も喉が痛いが・・。喉の薬が私にも役に立った。
 
 
2月16日(木)
朝食はINO氏と一緒にアチラハウスで済ませた。午前中少し観光をした。王宮や漁夫の砦。SZKを連れて来れなかったのは残念。
短い時間であったが、ほかの学生にとっては思い出深いブダペスト観光となったであろう。タマッシュさんが、お菓子を買ってきてくれた。巨大なコロネの外側だけのような食べ物。これが甘すぎず、たいへん美味しい。プレーンのほか、チョコやシナモン味もある。学生と共にたいへん気に入った。Ku'rtoskala'cs(クルトスコラチュ)という食べ物らしい。注:発音はあやしい。
一旦アチラハウスに戻り、午後アチラ牧場へ向かった。
アチラ牧場へは、かつて夏来たことがある。また、犬2頭が出迎えてくれた。馬も10頭くらいいる。芸術家はいなくなっている。
夏はここで武弓会の合宿を行うという。
射位と的場はあるが、的場の屋根と射場はまだできていない。
大鍋で作ってくれた、グヤーシュスープをいただく。本当においしくて、おいしくて、3杯おかわりをした。あー美味しかった。忘れられない。暖炉は暖かい。セーターを脱いでも汗をかく。
食事をすませ、 Székesfehérvár(スィーケッシュフェヒルバール)へ向かった。注:発音はあやしい。ここでデモンストレーションを行う。
またもや時間ギリギリだ。会場は少し狭く、14m位の距離しかなさそうだ。「演武の詳細は、会場に着いてから決める。」と学生に言っておいたのは何故か、その意味を学生はここに来て理解しただろう。
WTAF(韓国)で会ったハンガリー伝統弓術家、L氏や日本チームのアイドルであった美人のビクトリア嬢らも来てくれた。L氏からはTMD氏へのお土産、NIINAへの誕生プレゼントを預かった。私にはワシをデザインした陶器の飾り?(鍋敷き?)をいただいた。どうやって使う物? 有りがたいけれど、重いぞ、持って帰るの。
演武は3人1つ的演武と、3人試合形式の演武(L氏yutubeにアップロード)を行った。学生はやはり、上に多く外した。狙いさえわかれば近いので全部中るはずなのに。私は数矢腰矢単身の演武(L氏yutubeにアップロード)。私の方は、近いので的中は比較的簡単であった。
体験弓道も実施し、学生達はよく指導した。よいデモンストレーションとよい交流ができた。
ブダペストへ帰り、アチラハウスの斜向かいにあるアチラの空手道場へ寄る。パーティーへ乱入。誰、この人たち? アチラは説明もなく、ここに合流させるので困る。日本人がいるようなので挨拶すると、国士舘の空手の先生だった。国士舘の剣道の学生達が昨日からブダペスト入りしていることは聞いていた。空手も将来計画しているようで、下見のようだ。INO氏と私と、空手の先生とは挨拶したが、ほかは目配せで挨拶するものの、知らない人たちで居心地が悪い。みんな空手の人達のようだが、パリンカを何杯も飲まされた。アチラに帰宅を促し、向かいのアチラハウスに帰る。アチラハウスでも飲んでいたようだ。弓道の仲間がいるのなら、こちらの方が居心地よかったのに。
 
 
2月17日(金)
アチラハウスでINO氏と朝食。
8:00、アチラハウス集合。
8:30〜9:00頃出発。ロベルト駐禁で捕まる。ペーター寝坊?車トラブル?遅れる。
本日はHajdúnánás(ホイドゥナナッシュ)へ向かう。ここでもデモンストレーションを行う。会場が変わるだけで、進行などはおそらく昨日のイメージでよいだろう。また、詳細は会場で決めることになるが。
この街までブダペストからは約220kmくらいか。行く車の中、ほとんどうとうとしていた。うとうとは気持ちよかったが、体調は不良。移動時間が長いのは何もしなくてよい時間が得られるということで、体と大脳を休めることができて有りがたかった。どうも、ハンガリーに来ると時間が押してしまう。早めの行動をしないようだ。日本人は気持ちだけ焦ってしまう。
イベントは、12:00-14:00と聞いていたが、10分前になって、まだ着替えていないのに、向かいの店にコーヒーを飲みに行こうと言われた。「時間がない」と言うも、「大丈夫」と言われ、言われるままに・・。暢気だ。
着替えを済ませ、準備。距離は十分ある。28mに設定したと言っていたが、私はメージャーがないことを知っている。誰かが足幅で測ったに違いない(タマッシュだろう)。学生には黙っておいた(笑)。
演武の進行イメージははやり、昨日と同じでいいだろう。
違うのは会場が広く、距離は十分ということと、昨日の5倍くらい観客がいるということである。地元テレビの取材も入っているようだ。観客は50まで数えて、めんどくさくなった。約150人くらいであろう。
今日はまた、WTAFのかつてのチャンピオンM氏らが来てくれた。また同じく韓国で会った女性が子供たちを連れて見学に来てくれた。学校の先生をしているようだ。彼らはこの町に住んでいるのか? ひょっとして、M 氏の奥さん? 関係などが微妙に不明。
少々時間をオーバーしてから開始。演武は完全ではないが、順調に進んだ。学生の演武2つが済んでから、次は私の演武。演武の1本目、鉢巻きの結び目だろう、それに弦が触れ、失敗。1本目で討ち死にしているかも。2本目から、小引きに対応したが、かなり焦った。鉢巻きのあり方を考えないといけないな。昨日の演武はよかったが、本日は最悪(へこむ)。学生はよかったよ。
演武を終えると、地元テレビが取材に来た。女性レポーターに日本の弓の歴史について聞かれた。ほか何を聞かれたが忘れたけれど、私の英語ではたいした気の利いた答えにはなっていない。ほとんどカットだろう(笑)。
(帰国後、fbで友だちになった、カメラマンのpeterさんが、映像のリンク先を教えてくれた。http://nanastv.hu/infusions/the_kroax/kroax.php?category=5%3E 
チャンピオンや女先生がいろいろプレゼントをくれた。でっかいパンももらった。確か歓迎の意味があるハンガリーの古い伝統だ。持って帰れないし、硬くなっちゃうから、アチラハウスのパーティーでみんなで食べよう。
女先生の教え子たちだろう、女の子たちがたくさん集まってきた。矢を見せたり、双子の娘の写真を見せたら、興味深そうに見ていた。どこかから2組の双子が連れられてやってきた。「この子たちも双子!」と言っているようだ。折り紙で鶴を折ってみせると・・たいへんなことになった。一緒に折りたいようだ。ちょっと鶴は難しいので、兜にしたが、女の子たちには不満だったか・・。その後、鶴を折り続け、15羽くらい折っただろうか。学生達の弓道指導の様子を見るヒマはない。子供たちが紙をもって待っているから仕方ない。
学生達は体験弓道を実施していたが、彼らもそのうち、折り紙にかわった。日本語も教えていた。子供たちにも学生達は大人気で、たいへんよい交流ができただろう。お互いに楽しい時間を過ごした。弓道体験はどうだったか、わからないが、子供たちには日本に興味を持ってもらうよい機会だったに違いない。
演武会後に、少し遅い昼食(町から招待を受ける)。お礼の言葉やプレゼントをたくさんいただいた。「出張のため、市長が来ることができなくて申し訳ございません」との言葉に、恐縮する。美味しい料理とビール・ワイン、デザートまでいただいた。
将来、この町に弓道会ができることを期待する。武弓会はこの夏、初心者講習会をここで行おうと計画しているようだ。この町はほかのスポーツや武道も盛んのようで、弓道の受け皿と関心はあるのではないかと思う。
食事のあと、温泉にも招待された。日本の温泉のイメージよりも温水プールというイメージに近いだろう。水着を着て入る。日本人には温度は温めで、少し物足りないが、サウナやミスト、打たせ湯などもあり、リラックスできた。
ブダペストへロベルトの車で帰る。また、帰りも温泉でリラックス出来たせいか、うとうとした。ロベルトには申し訳ない。ロベルトは眠かったのだろう、途中給油所で休憩し、コーヒーを飲もうと言った。私は眠れなくなるので、遠慮し、店の中を散策した。
アチラハウスに戻る。
 
 
2月18日(土)
10:00よりセミナー開始。もちろん、遅れて開始するが、やはり、何となく時間は慌ただしい。
学生3名の1つ的演武。
各自を見て回る。懐かしい人カイさんもはるばるドイツから来てくれた。もう、25年ぶりくらいではなかろうか? ウクライナから1名、チェコから2名、スロバキアからも2名参加してくれている。
セミナー終了。
夕食まで各家庭ごとに行動。
私は、タマッシュ、アチラ、INO氏と一緒にアーチェリーショップへ。700HUFの鏃をたくさん買った。火矢用の鏃はプレゼントしてくれた。Huntting 鏃は2400HUF。FluFlu arrowは1300HUF。
18:00夕食はいつも行くレストランへ。このレストランでもいつも美味しい料理と仲間たちと楽しい時間を過ごし、ブダペストで印象に残るレストランだ。
飲んだワイン:
Tokaji Aszu' 3 puttonyos 2003  750Ft
Tokaji Szamorodni      650Ft
料理は、ハンガリースタイルのなんとかソースのかかったグースレバーとグリルしたポテトを注文した。ハンガリーらしいものを・・と思って注文したが、珍味であって美味しいのだが、個人的には歯ごたえがある肉の方がいい。
スロバキアから参加してくれたフローラとガブリエラの漢字名をまた学生と考えた。フローラ(扶朗羅)、ガブリエラ(雅武俐江羅)・・・あまり喜んでいなかった。出来もいまひとつ。
しかし、今年も料理にワインに楽しい仲間たちと、本当に楽しい時間を過ごすことができた。学生達にとってもきっと思い出に残る晩餐になるであろう。
本日、SZKも参加し、病み上がりにラム肉を食べて、お腹もびっくりしたのだろう。以後腹痛。
 
 
2月19日(日)
10:00よりセミナー2日目開始。
SZK腹痛により、またダウン。
学生4名の1つ的演武。ガブリエラは体調不良だし、遠いし、ガブリエラとフローラは今日これからもうスロバキアに帰る。(帰国後、スロバキアの代表者から2名がセミナーでお世話になったというお礼のメールをいただいた。律儀な人だ。)
12射終了後、事前に出された質問に関する講義を行った。アンドレアが通訳で助けてくれた。引き続き、INO氏の矢羽根付けと糸巻きについて、概略を実演。こちらでは自分で矢を製作する人が多いので、参考になっただろう。
15:00過ぎ、セミナー終了し、集合写真を撮影した。
 
みんなに別れの挨拶もろくろくしないまま、慌ただしくアチラハウスへ向かう。もう少し余裕がほしいところだ。
女子2名はロベルトの車で一旦おばあちゃんの家に戻り、荷物をまとめて、そのままロベルトとウィーンに向かう。
アチラハウスでは、アチラがお茶を入れようとしたが、時間があまりないので、遠慮。アチラのミルクティーは学生達にも評判だが、時間がなさ過ぎる。いつも慌ただしくなってしまうことを知っているので、賢明な判断だったろう。荷物をまとめ、余裕をもって駅へ向かった。買い物の時間まではないが、電車を待つまでに少々余裕があり、多くが見送りに来てくれ、皆との別れを惜しんだ。
17:24 ブダペストKelenfo"ld駅発。
電車は少々混んでいる。全員の席は見つからない。
フォリントが残っていたので、コーラを調達。
IKDが熱があるようだ(かなりやばそうだ)。
移動中はインターネットに繋げにくい。断念。
20:00、ウィーン・ウエストバーンホフについた。
ウィーン・ウエストバーンホフ駅では、カイさんが隣の電車に乗っているではないか。25年ぶりの再会もすごいが、2時間30分後の再会にびっくり。彼は別の列車で帰路(ドイツへ)につく。
駅では、スザンネとブランコが出迎えてくれた。ほんとうに面倒見がよい人達だ。また同じホテルにチェックインする。
IKDが具合が悪そうなので、私の部屋に寝かせ、私は学生と大部屋へ。IKDはホテルに残ると言っているので、最後の晩餐に残念だがIKDを残し、私のリクエストで、レストラン・センチメートルへ出かける。
スザンネ、ブランコも一緒に来てくれたが、メンディーも合流してくれた。センチメートルは前にも行った店とはチェーン店であるが、同じでは芸がないので、ブランコが別の店舗につれて行ってくれた。各自思い思いに注文。私はスペアリブの大皿を注文した。その量には学生もびっくり。みんなに切り分けた。
美味しい料理と飲み物をいただき、ウィーン最後の夜はまた楽しい思い出に残る晩餐となったことだろう。IKDがいなかったのは残念だ。なかなか全員が揃わない。
店を出て、地下鉄駅に向かう。ウエストバーンホフ駅でみんなと別れる。
本当に充実した日々であった。みんなが助けてくれた。最後まで付き合ってくれた。
明日はもう会えないので、ここで最後の別れの挨拶をした。
 
 
2月20日(月)
本日は朝食を予約していない。学習した。少々早めにチェックアウトして、駅で何かを食べようと思う。みんな大荷物である。IKDは大丈夫か? West・・駅では、各自で朝食を調達。私はまた、トルコ焼きそば。量は多い。バス乗り場へ向かう。バスチケットは団体で少し安くなった。
9:30、バス発、10:15、空港着予定であったが、早く着いた。
空港で早速チェックイン手続き。やはり弓と矢が問題だ。弓は150ユーロ+サービス料10ユーロを請求された。往路より安い。あとで調べたら、欧州内の料金を摘要してくれたようだ。日本より親切。矢筒は問題なく、超過料金は発生しなかった。またしても得した気分にしてくれた。超過料金はとりあえず、ポケットマネーから支払い、その後、精算するのを忘れた(笑)。学生へのサービスだ。
免税店などを散策。100ユーロくらいの雑多な買い物をした。パスコントロールを通過し、INO氏と免税手続きと返金場所へ行く。少々税金が返ってきた。INO氏は立派なコートを購入したようなので、かなり返ってきたようだ。
搭乗ゲート前で時間をつぶす。
さて、いよいよ搭乗しようと、セキュリティーチェックを受けると、なんと・・・、バッグを調べると言われ・・・、係員が底の方を手探りすると・・・、何と何と・・あり得ない・・・「鏃」がバッグの底から出てきた。マイナスドライバーのような鏃だ。なぜこんなものが・・。記憶を辿ると・・、授業で学生と射貫を行った際に外れてしまった鏃だろう。バッグに入れているのは、すっかり記憶になかった。しかも成田はスルーしたことになる。係員は鏃の先端よりも、中子の方を気にしていた。先が尖っているためだ。「Sorry Sir」と、言われ、当然、没収された。係員の机の上に転がされた。どうしようもない。あれ、どうするのだろう。係員にとってはただの鉄釘みたいなものだろう。そんなに高価なタイプの鏃ではないが・・・あー残念。
 
離陸!
(中略)
着陸!
 
荷物はなかなか出てこない。2名の学生がとっとと出て行ってしまったので、後で怒る。だんだん気がゆるんだようだ。
フォリントの残金をMDRに両替しに行ってもらった。私の方、フォリントの残金計算を誤った。学生達に11000円多く返してしまった。まあいいだろう。学生へのサービスだ。私のいつものどんぶり勘定なので仕方ない。
INO氏と別れ、大学バスで帰路につく。学生、ほとんどが寝ている。よく寝られるなあ。私はいつも帰りのバスは眠れない。
 
今回は体調不良者が多く、いろいろ問題もあったが、現地の人達の助けで、充実した研修を終えることができた。
学生達も次から次へと新たな体験で疲れたでだろう。数日かけて、ゆっくる体調を整えてほしい。
レポートは忘れないように!!
 
夕方、IKDから連絡あり。病院に行ったら、インフルだったとのこと。今更ながら、IKDの「大丈夫です」は信用ならないことが判明。がんばり過ぎだ>IKD
明日、大学健康管理室へ連絡するように指示。
 
 
 
 
 
 
 
 
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さて、2011年度海外研修(弓道班)は学生達にとってはどうだっただろうか。
残念なことは多かったが、学生達は学ぶものが多くあったはずだ。
「感じる」こと、「気づく」ことが大切なんだ!
 
 
 
2月27日(月)
レポート提出期限。
 
 
2月28日(火)
ハンガリーから保険付きの郵送物が届いた。HRMがアチラハウスに忘れたipodだ。帰国後も迷惑をかけている。
 
 
 
 
 
※最後に、
お世話になった方々へ心から感謝いたします。
「海外研修(弓道班)」、今回は健康問題で、いろいろトラブルもありましたが、なんとか全行程を終了できました。
現地の方々には、親切にトラブルに対処していただきました。
関係者には、ご迷惑をおかけしましたが、快く対処いただき、心よりお礼を申し上げます。
 
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2011年度旅後の勝手きままな手記:
 
・今回の最大の問題、健康問題。残念な部分が多い。
・健康問題を除けば、学生達の交流は積極的であり、よい研修ができた。成果を得た。
・時代の変化であろう、これまでは帰国後の継続交流はあまりなかったが、facebookを通じて継続交流が見受けられる。よいことだ。
・ホームステイ先ではどうだったのだろうか?アチラハウスでの行動を見る限り、お客さんでいたようだ。もう少し、気配りと手伝いをして欲しかった。
・最終日、大部屋で男子学生と一緒に過ごした。同じ部屋で過ごすとおもしろい現象が・・・・、挨拶ができない。目が合っても挨拶をしない。私から「おはよう!」と言わないと挨拶は交わさないようだ。私に挨拶をしないくらいだから、仲間同士ではまったく挨拶をしないのだろう。武大生、学内外ではきちんと挨拶ができ、内外からたいへん評判がよいが、同じ部屋の仲間うちにも挨拶くらいはしよう。
・レポートに書いた「感じたこと」を大切にしてほしい。
・誰かが今度はIBUを訪れるかもしれない。今度は私たちがもてなそう。
・本学学生の適応能力は高い。今回の学生の語学力も比較的高く、評価できる。しかし、語学力・コミュニケーション能力はもっともっと高いにこしたことはない。今後参加予定の学生は、事前準備をしっかりとして欲しい。
・学生の日本での評価と海外研修中の評価はまったく異なる。研修中、たよりになったのは真面目な学生ではなく、適応能力の高い学生、感性の鋭い気配りのできる学生だ。それは社会に出ても大事なことだと思う。
・学生は、自己の能力にもっと気づくべきだ。
・学ぶものは多い。「海外研修」には絶対に参加すべきだ。
 
 
 
 
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